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1952年9月17日の議事録

この日、実は日本が国連加盟を申請してから、最初にその承認を巡って安保理が開催された日なのです。日本の国連加盟は1956年、日ソ共同宣言が締結されるまで果たせなかったわけで、この理事会では申請はソ連の拒否権によって却下されています。(ちなみに、反対はソ連のみであり、残りは全部「賛成」です

議事録において日本支持を積極的に示したのは、旧占領軍の主力・アメリカです。それは別にいいのですが、興味深い発言をピックアップします。

イギリス『日本が国際連合の加盟国となることは至極明白なことでありますので、本代表はこの件について長時間発言しようとは思いません。』
中華民国『日本国民が、その周辺を見渡すとき、抱く感情は唯一つであります。この感情とは、恐怖感であって、日本が新たな侵略を受けはしないかという恐怖感であります。』
ギリシャ『軍国主義的であってヒトラーびいきの戦前の日本を忘れなければならない政府が、少なくとも一つ存在していると、私は謹んで申し上げるのであります。私は、もちろん1941年4月13日、この侵略的な戦前の日本と一般的中立条約を締結した政府について言及しつつあるのであります。』『今日なお(日本が)ソビエト連邦と戦争状態にある事実を、我々に思いださせたのであります。しかしこれは、一体誰の責任でありましょう。もちろん日本ではありません。
ブラジル『ソビエト連邦が今なお自国と日本とが戦争状態にあると認め、極東における事態のいかなる収拾に対しても反対しようと決意しているように見受けられる。』

要するに、日本の加盟を討議したというよりも、ソ連への批判に集中しているわけです。
実は、ソ連や東欧、インド、インドネシア、ビルマ、フィリピン等は、サンフランシスコ講和条約を批准しなかったわけです。それゆえ、「単独講和」として語られています。
ただし、この条約に批准しなかった国の全部と法的な戦争状態の終了がなかったわけではありません。
インドは中華人民共和国の招聘がないことに対してアメリカと対立しただけであって、講和条約が最初に発効した日(1952年4月28日)をもって戦争状態を終了し、国交回復となっています。
インドネシアとビルマは、領事館を開設したり、往来が比較的自由になされるなど、「法的には戦争状態である」というだけで、「手続きを待つのみ」という段階でした。他にも「法的に戦争状態にある国」はありますが、フィリピンを除いては、これと同じ状態です。


ソ連は、ギリシャの発言に対してすぐに抗弁していますが、その発言内容は、要するに

うちの軍隊は、原爆投下で、参戦前に降伏されたら「戦勝国」じゃなくなるからって、慌てて攻撃開始した!!でも、そんなの関係ねぇ!! はい、おっぱぴ~♪

という内容のことを議事録に残しています。


そういう緊張状態の中にあって、私がこの議事録を読んで抱いた感想は、

この中で~~、最後の最後まで日本と中立条約を結んで~~、侵略を手助けしていたのは~~、どこのどいつだ~~~い?あたしだよ!!

とマリクが発言していたら、一体どうなっていたことだろうか・・・、ということのみです。
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地球温暖化の流れに逆行して、財布の中身は常に氷河期到来している、「生活は庶民以下でも、志は貴族」(←鈴木邦男氏・談)と、言える日は来ないだろうなぁ・・・。

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