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日本に民主主義は失敗だったのか?

2009年8月。
ついに政権交代が起こった。民主党結党10年。これが長かったかどうかは、判断の基準にもよるだろうが、ともかく政権交代が実現した。

しかし、このバカな国民の感情と思考は、一向に交代しないようである。

民主党のマニフェスト、正直言って、私はほとんど評価しない。半分しか達成できなさそうな勢いの政権公約を掲げるなど、政治をバカにしているにも程がある。おそらく政権が交代すれば、その醜悪さが露呈されることになるだろう。

・・・と、思っていたが、残念ながら、責められるべきは民主党ではなく日本国民そのものであった。

2005年の郵政選挙、民主党の公約は実に詳細であった一方、小泉純一郎が掲げた「郵政民営化に賛成か反対か」というシングルイシューで民意を問うた。普通に考えれば、小泉純一郎は惨敗せねばならない、実に無責任極まりない選挙運動を展開していたのだ。
しかし、結果は史上空前の自民党圧勝。小選挙区制度の弊害を叫んだところで、得票率が4割前後と比較第一党は最低限でも確保された状態なのだから、バカな国民の目を覚ますにはいい選挙結果になった。

今回の総選挙は、そうした「良識と理性に目覚めた国民」が民主党政権をつくるものだろうと思っていた。
選挙結果は、議席数はともかく、得票数においては、私の予想とは大差がない。もっとも、誰が予想しても似たようなものになるだろうから、自慢などできようはずもないわけだが。

ところが、「国民の理性と良識のなさ」は依然として続いていた。
あまりにも我慢がなさすぎる上に、マニフェストの非現実性に対する修正を求めようともしない有権者が、少数ながら存在するのである。

政権交代そのものは、細川連立内閣の事例があるが、その当時は、政権交代をなし得たといっても、議会では自民党が第一党だった。非自民・非共産というキーワードだけでつながった、「数の論理」で過半数になっただけのことである。
今回の政権交代は、議会第一党が交代した、憲政の常道として極めて当然の形で行われた政権交代である。

私は「政権担当能力を持つ、もう1つの政党」をつくること、それだけのために民主党を次の総選挙告示日前までは支持する。

なぜか?

55年体制以後、正常な形で成し得た初めての政権交代だからである。

50年以上もある一党が議会第一党でありつづけ、政権も担ってきたというのは、独裁政治や大政翼賛会的な「制度上一党優位を保証する」国でもない限り、よほど主権者が愚かでもなければ、起こり得ないことである。外交防衛での失政がない限り、民主党が「政権を担えるだけの政党」となるまでは、国民生活がいかに困窮しようとも民主党を支持するのが、主権者たる日本国民の義務であり、55年体制以後の、とても民主主義国家の国民としての義務を果たさなかった有権者の愚劣さに対する懲罰である。

民主党のマニフェストは、確かに普通に考えれば「非現実的なもの」が並んでいる。

しかし、あえて言いたい。

『有権者よ、民主党のマニフェストが、もし自公政権のマニフェストと同じであったなら、民主党に投票したのかい?』

この答えとして「YES」と発言する有権者は、自分を恥じる義務がある。要するに「嘘をつくな」ということである。
「いずれは税率を上げなければならない」と、自民党国会議員が唱えている消費税を、選挙の際に真正面から「公約」として掲げた最初の政党は民主党であった。野党でありながら、民主党は国民への負担を求めたのである。そして、それで民主党は第一党になれず、自公政権が続いたではないか。
そういう歴史を刻んでしまった国の主権者が、民主党のマニフェストを批判する権利も自由もない。それどころか、鳩山内閣が国民に求めるであろう負担について、不満や不平を抱く権利も自由もない。

いつの間に、日本国民は『主権在民』を100円ショップで売られている廉価な玩具だと考え、感じ、求めるような人たちになったのだろうか?
もしかしたら、日本国民ほど民主主義や国民主権にふさわしくない国民はいないのかもしれない。
だとしたら、日本国憲法は、即刻廃止して、江戸時代に戻し、身分が固定して人権がない社会にするのが、民主主義のために命を落とした人たちへの、最低限の「人間として」の責務ではないだろうか。
もちろん、そのような思考や感情を抱く私は、国民を支配し、反発があれば無条件かつ即時に取り締まる側にいなければならないのは、論ずるまでもないことであるが。
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No title

ずいぶん更新してなかったことに関してはスルー。

ところで、本題に関しては「民主主義の是非」である必然性に問題がある。

 要旨からは、民主主義の妥当性を問うものだろうが、
一般的に様々な見解から、民主主義はbetterというチャーチルの見解がおおむね支持されている。
 突っ込み放題の文章は別にして簡単に精査するべき言葉について問題提起しておきたい
 私からすれば、この評論に至るプロセスに民主主義的理解があるので、関心しない。

「政権交代」
 政権交代とは政権与党が変わることだけではない。政権与党が変わらずとも、首班(総理)が変更すれば政権交代といえるわけで、世俗的に使用される「政権交代」は極めて狭義であり適切ではない。
 世俗化した言葉をそのまま流用することを否定しないが、仮にも政治評論を趣旨するならば、玉席混合にしても「政権交代」という語義を慎重に判断するのが妥当だろう。
 仮に民主主義批判を行うならば、尚更のことで、言葉から民主主義的大衆迎合の俎上であっては説得力はない。
 まるでこれまで政権交代が一度もなかったようなニュアンスはいただけない。(世俗的には通じるが)
 政権交代事例は、片山哲内閣を日本憲政上で指摘するべきであって、細川内閣が初めてのような指摘は不適切。
 
 さて、少し短めの文章で問題を指摘しておきたい。
①「憲政の常道」という理屈は、憲法規定にはない(実は吉田茂の思い込みであろう)
②50年以上の単独政権は稀という意見だが、実は世界的に稀とも言い難い(世俗的意見でしかない)
 シンガポール人民党、バアス党(シリア、イラク)、中国国民党、モンゴル人民革命党・国民党(台湾)
 上記政党は50年近くの独裁的与党は少なくない。(実は知られていない)
③民主党を支持するのが、(中略)主権者たる日本国民の義務であり、
そんな義務はありえない。(法的にも政治的にも)
 仮に同党を支持した立場であれば道義的責任はあるが、支持しない人間に義務が課される道理はない。これは憲法上でも明白。

 ところで、個人的には、何を今さら・・・・という感想しか抱かない。
義憤に駆られた意見なのは理解できるが、この程度の意見では到底、妥当的民主主義体制の否定論になりえない。

 betterと解される民主主義よりも妥当な体制を提案するなどの建設性なき評論は時代遅れであり、すでに風化した産物とも言える。
 立憲主義という視点こそもっとも見えないにもしても近代国家にとっては重要であろうが・・・
 もちろん批判は覚悟で書いたのだろうが、
「じゃ、どうするの?」という問題提起へのアプローチもない愚痴の評論では・・・
 このような評論に是非は問わないが、
この程度の評論で民主主義を語ることへの問題意識が必要だと思う。

 より具体的な提案が必要な段階である・・・という認知がないからこそ、義憤で済ませているように思えてならない。

 これは、憲法改正問題にもつながることで、
憲法改正することだけの一致だけで、具体論に踏み込めない拙速ぶりと類似している。

 痛烈かもしれないが、リアリティがない評論であってオナニーにしても関心できる部類ではない。

 せめて、
感情論ではなく何らかの強い法的・政治的根拠を提示しないでは、感想文で終わるだろう。
 
 もちろん、感想文をNGとはしないが、それで満足する必然性はないだろう・・・
 
 あまり関心しない意見であることよりも、
それに至る過程とその材料に問題が大きく感じられるので、あえて意見した。
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わくわく44

Author:わくわく44
地球温暖化の流れに逆行して、財布の中身は常に氷河期到来している、「生活は庶民以下でも、志は貴族」(←鈴木邦男氏・談)と、言える日は来ないだろうなぁ・・・。

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