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「感情」を抜きにした、「理性」だけの議論をしましょう。

日本の防衛を担保しつつ、核廃絶を求めるならば、次の方法があります。

1.自ら核武装するか、ニュークリア・シェアリングでMADを確保すること。しかし、これはNPTとの絡みで現実的ではないし、アメリカもNSならばともかく、独自保有は認めない可能性が極めて高い。
と、言いたいところですが、それ以前に、核廃絶を求める国民が核兵器を、いきなり保有することは、さすがに政治的には選択肢とはならないでしょう。

2.非核三原則の撤廃によるアメリカの核持ち込みを、堂々と示唆すること。しかし、これは、「核の傘」に保証されたとはいえても、「日本が核抑止力を持った」と断言するまでには至らないという欠点があります。
また、核兵器のコントロールが米軍次第であって、日本に権限がない以上、日本国民の意思が反映された「核オプション」とは到底言えず、核廃絶を目指さずに、単純に日本の防衛のみで考えても、選択肢としては最も意味のないものと思います。

3.「核アレルギー」を考慮して、あくまでも「非核」を目指すならば、『日本に核ミサイルで攻撃しても、日本国民にはほとんど被害がない態勢をつくる』『核兵器「製造能力」の完成』です。
前者は、「MDの質と量の強化」、「国民保護の緊急連絡網の整備」、「核シェルターの増設」、「国、警察、消防、自衛隊、地方自治体、住民が連携した有事避難訓練」が軸になると思います。
後者は、技術と材料は日本にあります。あとは予算措置と実験で整備を進めるだけです。
ただし、これは「いつでも非核三原則を撤廃する用意がある」という担保がなければなりません。「非核三原則を堅持する」というメッセージを発してしまっては、これは使えないことを知っておいた方がいいと思います。

現在の国際社会においては、核抑止力があると認識されていることを、まずは認めることです。「ある」ものを「ない」と言ってしまったら、検討に値する話は構築できなくなります。

次に、「広島・長崎」をあまり前に出さないこと。被害の大きさは、一方では「廃絶しなければ」というモチベーションの向上につながりますが、もう一方では「こんなに破壊力があるのか」と、逆に推進するきっかけにもなりかねないのです。すなわち、「核兵器は、あくまでも軍事兵器の1つのオプションである」という前提、言い換えれば「特別なものではない」という認識を持つことが大切です。
武力攻撃は、そのパフォーマンスを最大化させることに主眼が置かれます。そのパフォーマンスを最大化するツールが核兵器であるならば、「使ってくることは十分ある」と考えなければ、核廃絶運動どころか、核攻撃を受けた際の避難すらおぼつかない、という、核廃絶論者が最も好まない結果になることも踏まえておいた方がいいでしょう。

最後に、損得勘定で「持たない方が良い」という論を出すこと。外交交渉に感情を持ちこむのは、かえって対立を招きやすいので、純粋に「リスクに見合ったリターンがない」状態を作り上げてからの外交や草の根運動でなければ、残念ながら「全世界」を相手にした場合は、成果は期待できません。


しかしながら、上記に掲げた認識は、どんなに早くても中学卒業段階で持ってくれれば十分と考えています。(大学に入学した頃に認識できていれば、おそらく大丈夫だと思います。)核兵器に限らず、軍事問題は、国益と利害が絡む複雑な外交問題です。『理想と現実』のギャップから、前向きな思考を養うことは、実社会で自立するために必要なことですが、これを認識するに、小中学生ではさすがにハードすぎると思うので、もし、「理想と現実」と「自分で考える」を育てるのであれば、他の身近な事例で、実際に生徒本人に課題を与え、克服させる方が効果的だと思いますね。




ちなみに、『日本に核ミサイルで攻撃しても、日本国民にはほとんど被害がない態勢をつくる』というのは、反戦平和の人たちから非難されている国民保護法の話とかぶります。

「国民保護の緊急連絡網の整備」

「核シェルターの増設」

「国、警察、消防、自衛隊、地方自治体、住民が連携した有事避難訓練」

この3点が生かされるケースは、武力攻撃を受けたときよりも、火山の噴火や大地震の場合が多いと予想されます。日本は全国が震源地となりうる地震大国であり、火山の上に住んでいるような国でもあります。事前に察知が可能な有事に備えるよりも、前触れなしで起こる災害に備えるつもりで整備した方が、確実に国民の身体を守る体制が整います。
日本を核攻撃しようとする国が、災害時の避難のスピード・避難場所の安全性の高さを見れば、それだけで抑止力になります。




石破防衛大臣が、かつて「爆心地付近でも生き残った人がいた」という発言をしていました。
石破大臣は、「例え爆心地であったとしても、国民の被害を減らす方策を見いだせるはずだ」ということで、『日本への核攻撃は無駄だ』という計算をさせることで、核攻撃を防ぐ「抑止力」を主張したんですよ。

これを、原爆の被害を矮小化するとかで非難した人は、ぜひとも猛省してもらいたい。
この私の発言に不快感を抱く人に対して、私は声を大にして言いたい。

じゃ、あなたが自分で核兵器を全廃してください。
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終戦記念日放送のNHK『核|日本の、これから』に寄せた意見

毎年終戦記念日恒例のNHKのシリーズ'''『日本のこれから』'''。 終戦64年目の今年のテーマは「核」だった。題して、[http://www.nhk.or.jp/korekara/ 『日本のこれから─“核の時代”とどう向き合うか』 ]。 放送に先がけ、番組は[h...

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「はい、そう努めます。」

わくのブログだったとはね。俺、エトだよ。

俺は「非核三原則を撤廃してもいい状況」の実現に尽力するつもりだよ。「あるものをないとする」のではなく、「あるものをなくす」ことを目指すつもりだ。

ところでシェルター・訓練案は、まるで意味がないと思う。それだったら、米ソも冷戦時代に徹底してやっていたし(それでもキューバ危機を必死で回避した)、21世紀の現代になっても、核攻撃を一度受けたら地下生活を続けなければならないことには変わりない。有事訓練など行っても、たとえば火事に関する防災訓練を受けてるからといってその通りに動ける人間は少ない。相手が核攻撃を「無意味」と考えるほど、被害を減らすことはできないだろう。

さらに、核攻撃が狙いとするのは人的被害を起こすことばかりではない。軍事施設の完全な破壊、報復能力の無力化、経済社会インフラの破壊などが徹底して行われたら、それは「有効」な攻撃となる。

核攻撃によって軍事・政治的目的が達成できる以上、シェルター・訓練は攻撃自体に対する抑止力にはなり得ない。

核攻撃を完全に無効化する抑止力を得るには、地下国家を建設するしかないんじゃないか?まあそれも、バンカーバスターのような地表貫通型ミサイルに弾頭を積まれたらおしまいだが。

エト殿

コメント、ありがとう。

>シェルター・訓練案は、まるで意味がないと思う。
>軍事施設の完全な破壊、報復能力の無力化、経済社会インフラの破壊などが徹底して行われたら、それは「有効」な攻撃となる。

まるで意味がない、ということはない。

核ミサイルに対しては、MDを整備し、「日本に着弾しない」「日本で爆発しない」ことを前提に、「国民保護の緊急連絡網の整備」「核シェルターの増設」「国、警察、消防、自衛隊、地方自治体、住民が連携した有事避難訓練」の3点にも取り組む必要がある、ということ。

「国民保護の緊急連絡網の整備」「核シェルターの増設」「国、警察、消防、自衛隊、地方自治体、住民が連携した有事避難訓練」の3点は、災害対応にも効果的なことである、ということを述べたわけで、この3点だけで対応しようというのではない。

これを全部やれるならば、それに越したことはないのだが、現実的には難しい。なので、政策的にはプライオリティをつけて徐々に整備することになるだろう。でも、これは政策論であって、「理想にいかに近づけるか」という目標とは、ちょっと違う話になるだろう。

No title

 どうなんでしょう・・・理性で議論しても感情論と大差ない可能性があるでしょう。

 私ならば、『法理・近代社会の秩序で議論しましょう。』とはいいます。

だって、理性的にも非核理論はありえるだろうからね・・・


どうでもいいですが、核廃絶のロードマップを
私のような「核武装論の議論が必要!」な人間が提唱する矛盾はどう説明すればいいのでしょうか?

核兵器廃絶を訴えている当人が、核放棄した事例を知らないようでは・・・・遠い目

 非核三原則を(日本国内で)法制化しても、軍艦・政府船舶などによる核兵器の持ち込みは国際法上・国内法でもどうしようもない。(もっといえば、大使館で核兵器製造していてもどうしようもない)

あ・・ちなみに”上記に掲げた認識は、どんなに早くても中学卒業段階で持ってくれれば十分”ではない。

なぜか?「新しい教科書をつくる会」の教科書では、この水準の教育すら不可能だから
 

No title

ICC活動お疲れという人へ・・・

なんとも想像力が欠如したコメントに個人的には、法理を政治力で覆そうとするエゴイストは困ったなぁ・・・という見解が支配的。

んでは、検証。

>ところでシェルター・訓練案は、まるで意味がないと思う。それだったら、米ソも冷戦時代に徹底してやっていたし(それでもキューバ危機を必死で回避した)、21世紀の現代になっても、核攻撃を一度受けたら地下生活を続けなければならないことには変わりない。

はい。基本的にシェルターの意味は、核兵器防備以外に限らない。生物化学兵器などの脅威の対策になるし、有事における人身保護の役割を担える。単純に核シェルターを核専用の防壁と思うのが短絡的な反論。そして、訓練も同じことで、訓練は核防備以外の側面で付帯的な意味と効果を生み出す
 例えば、スイスの民間防衛などは意識改革から始まって、カントン(州)規模での防衛政策にまで昇華された理想的な有事対策になっている。
スイスレベルの必要性はないにしても、核兵器に限らず訓練・シェルターは有用。
同時に、核兵器は正規軍兵器の時代から私兵兵器の可能性を提示している。つまり、キューバー危機の「相互破壊認証」というようなゲーム理論のような理屈は、通じない時代になっている。
だからこそ、テロ・海賊などという国際法管轄ではない私的組織への武力行使が可能な国連決議が出来たわけだ・・・そこらは、国際法の解釈問題として重要なことも知っているだろうに・・・

>有事訓練など行っても、たとえば火事に関する防災訓練を受けてるからといってその通りに動ける人間は少ない。相手が核攻撃を「無意味」と考えるほど、被害を減らすことはできないだろう。

要は対費用効果だが、訓練の意味は意識・動機付けの効果を勘案するべき、ということでもある。被害を減らすことができるならば、対費用効果を含めて政治的に判断するべきで、最初から選択肢から消去する必要性はない。
 そして、この精神性の延長に、有事法制、特に国民保護法がある。

>核攻撃によって軍事・政治的目的が達成できる以上、シェルター・訓練は攻撃自体に対する抑止力にはなり得ない。

はい、幻想。
最終的には、軍事的政治的目的を達成するのは、相手国の抵抗力が消滅し、しぶしぶでも被統治体制に忍従できるようになること。
 冷静に考えれば分かるように、軍事的目的(敵戦力の沈黙)はあくまでも正規軍相手の問題であって、民兵レベルの抵抗に対しては、核兵器の限界は明白。政治的目的でも、相手政府が降伏・追従するようになっても、国民が抵抗し続ければ、軍事的政治的な目的達成も完遂しない。
 第二次湾岸戦争後、7年に渡る長期駐留を考えれば、核兵器なんぞは、最終兵器でもなんでもない。ちょっとデカめの通常兵器でしかない。恫喝力が強いにしてもね・・・・

>核攻撃を完全に無効化する抑止力を得るには、地下国家を建設するしかないんじゃないか?まあそれも、バンカーバスターのような地表貫通型ミサイルに弾頭を積まれたらおしまいだが。

 核攻撃を無効化する・抑止力を得るのは、案外簡単。
核兵器と共存すること。核兵器を持っている人間と同じ空間に居れば、直接的な自殺行為が出来ないので、抑止できる。

理屈は簡単だが、現実出来ないがねw


正直、この記事は斬新さがないというよりも、何を今更。(ひどいな)

わく殿

なんて、気持ち悪いネット呼び名は使わないが、面白いんであくまで返しで使わせてもらう。

わく、シェルター・訓練は核攻撃を恐れる国として当然為すべき備えでしかないだろ。それが必要ってのは当然のことで、何も真新しいことはない。

俺が反論しているのは、シェルター・訓練が核抑止の一翼を構成するという考え方がおかしいってこと。仮にMDと一体としてもな。

まず、MDが想定通りの効果を発揮するなら「日本に着弾しない」「日本で爆発しない」ことを前提にすることは可能だろうが、第一にMDにそれほどの精度はない。それを分かっているからこそ、わくはMDの「質と量の強化」を謳うわけだが、MDはもともと日本の技術ではない。NMDの地域対応版でしかなく、根幹技術もコンセプトもすべてアメリカ産だ。日本独自で質と量の発展は図れない。

それから、MDの「質」向上を図るということは、核攻撃する相手にもその対策を迫ることになり、これは相手方にも質の向上を余儀なくさせることになる。こうなったらもういたちごっこ。ここに質の競争が生まれる。

次に、MDの量の向上を図るということも、核攻撃する相手に物量での凌駕を促すことになり、これは質という「点」の向上ではなく、両という「面」の向上を意味する。つまり、核ミサイルそのものあるいは核弾頭の多弾頭化を促進することになる。これもいたちごっこ。量の競争となる。

総じて地域で核軍拡を促すことになる。MDだけで、これだけの問題がある。地域の緊張を高めるだけだってことだ。

しかもMDだけではMAD(相互確証破壊)の均衡が成立しえないのは知ってのとおりだ。だから論理的帰結として独自の「核製造能力の完成」を目指すんだろうが、わく自身持論の「1」でその可能性を否定している。しかもだ、核製造を目指すとわかっている国に、アメリカがMDの質と量の向上を認めると思うか?そのための協力を行うと?

わく「3」のオプションで成立するのは、想定しうる核攻撃への当然の対応としてのシェルター・訓練の整備だけだ。これはMDとは関係なく整備されて然るべきもの。本当に核の脅威が目前にあるという認識ならば、政府はただちに整備すべきだろう。そこだけ、同意する。

結論

MDの質と量の向上は抑止力足りえないどころか、核軍拡を促し地域安全保障を損ねる要因となりうる。MDの質と量の向上を図りつつ独自核の開発・製造を行うことは、アメリカの政策上可能性が極めて低いということから、MDの質と量の向上を前提にしたシェルター・訓練の整備は実効的な政策になり得ない。ただし、単独でならシェルター・訓練の整備は実効性のある政策である。

以上、仕事に戻る。またな^^

冥王星氏へ

>どうなんでしょう・・・理性で議論しても感情論と大差ない可能性があるでしょう。
>私ならば、『法理・近代社会の秩序で議論しましょう。』とはいいます。
>だって、理性的にも非核理論はありえるだろうからね・・・

非核理論であっても、理性的であればいいと思うよ。
まずいのは、「それを広島・長崎で言ってみろ!」という言葉で核武装論を封殺しようとすること。これがマズイという話です。

>どうでもいいですが、核廃絶のロードマップを
>私のような「核武装論の議論が必要!」な人間が提唱する矛盾はどう説明すればいいのでしょうか?

いい問題提起を受けた。
私は、『核兵器の廃絶』は、結果であり目標であって、「必要ない」あるいは「持たない方が良い」ということで共通認識ができると考える。従って、「核武装の議論」をすることは、実は核廃絶に向かっての取り組みそのものなのであって、『核武装論を唱えるな』という状態ほど、核廃絶から遠ざかっていると私は思っているわけ。

>核兵器廃絶を訴えている当人が、核放棄した事例を知らないようでは・・・・遠い目

まぁ、世界史上初のチャレンジだからね。(笑)
ゼロベースから積み重ねるチャンスでもあり、自分たちが作り上げたものを、世界がベンチマークしてくれればって、そういう下心もなくはない。

>あ・・ちなみに”上記に掲げた認識は、どんなに早くても中学卒業段階で持ってくれれば十分”ではない。
>なぜか?「新しい教科書をつくる会」の教科書では、この水準の教育すら不可能だから
 
これは冥王星氏の誤読だと思う。
私が「どんなに早くても中学卒業段階で」と言ったのは、「義務教育段階で完成することが困難」だと思ってるからであって、要するに「小学生で認識できなくても、問題はないよ」という反語的な意味合いで述べたつもり。

あと、「新しい教科書をつくる会」の教科書って、あれは教科書なの?
私は、ちょっと分厚い歴史小説ぐらいにしか思ってないけど。(私なら、たとえ思想的には同意できる内容の書物だとしても、大学受験に備えての「教科書」としては使わないなぁ。)

GivingTree 殿

本格的に反論といきましょうかのぉ。

>シェルター・訓練は核攻撃を恐れる国として当然為すべき備えでしかないだろ。それが必要ってのは当然のことで、何も真新しいことはない。

新しいかどうかは、私は特に問題にしていないよ。

>まず、MDが想定通りの効果を発揮するなら「日本に着弾しない」「日本で爆発しない」ことを前提にすることは可能だろうが、第一にMDにそれほどの精度はない。

2009年8月23日現在はそうだろう。しかし、今現在のレベルのままでいいはずがない。日本国内に侵入させず、日本国内に被害を及ぼさないようにするという「方向性」は持たなければならないのであって、仮に今の精度が25%だとしても、5年後に30%、10年後に50%・・・とあげていく努力は怠るべきではない。

>それを分かっているからこそ、わくはMDの「質と量の強化」を謳うわけだが、MDはもともと日本の技術ではない。NMDの地域対応版でしかなく、根幹技術もコンセプトもすべてアメリカ産だ。日本独自で質と量の発展は図れない。

何も単独でやる必要はない。そもそも安全保障を単独で行うのは、コストパフォーマンスがあまりにも悪すぎる。できれば、アメリカに限らず、オーストラリアや東南アジアなども巻き込んでできれば、と願っているぐらいだ。これができるかどうかは、今現在の時点でいえば「限りなく不可能に近い」とは言えるけどね。

>それから、MDの「質」向上を図るということは、核攻撃する相手にもその対策を迫ることになり、これは相手方にも質の向上を余儀なくさせることになる。こうなったらもういたちごっこ。ここに質の競争が生まれる。
>次に、MDの量の向上を図るということも、核攻撃する相手に物量での凌駕を促すことになり、これは質という「点」の向上ではなく、両という「面」の向上を意味する。つまり、核ミサイルそのものあるいは核弾頭の多弾頭化を促進することになる。これもいたちごっこ。量の競争となる。

これについては、最後の部分で反論がある。
「質の向上」も「量の向上」も、それだけコストが高くなるのであり、「利得<コスト」の状態を作るか、あるいは「そもそも、そこまでコストを負担することができない」状態を作ることにつながる。米ソの核競争の事例にもあるように、いたちごっこにも限度がある。
ただし、このいたちごっこは、仮にこちらが優勢になったとしても、こちらがダメージを受けるわけだから、「できるだけ安いコストで勝利する」という至上命題があるのだが、このためにも、多角的にプライオリティをつけて整備していくことを提案したいのである。

>総じて地域で核軍拡を促すことになる。MDだけで、これだけの問題がある。地域の緊張を高めるだけだってことだ。

ありきたりな話だが、「じゃ、現状のままで、核攻撃からの被害を極小化する取り組みはするな」という主張をしたいのだろうか、という疑問を、私がエトに対して持つことになる。

>しかもMDだけではMAD(相互確証破壊)の均衡が成立しえないのは知ってのとおりだ。だから論理的帰結として独自の「核製造能力の完成」を目指すんだろうが、わく自身持論の「1」でその可能性を否定している。しかもだ、核製造を目指すとわかっている国に、アメリカがMDの質と量の向上を認めると思うか?そのための協力を行うと?

北朝鮮の核ミサイル発射実験直後に、ライス前国務長官が来日したが、それが何を意味するのか、エトならばわかるはず。

>わく「3」のオプションで成立するのは、想定しうる核攻撃への当然の対応としてのシェルター・訓練の整備だけだ。

『2009年8月23日現在では』という条件付きならば、それに賛同できるが、これから先もそうかといえば、これは違うだろう、ということである。
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わくわく44

Author:わくわく44
地球温暖化の流れに逆行して、財布の中身は常に氷河期到来している、「生活は庶民以下でも、志は貴族」(←鈴木邦男氏・談)と、言える日は来ないだろうなぁ・・・。

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