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田母神論文こそ文民統制のチャンス

何をいまさら、という感じもしなくもないが、思いついたのでエントリーする。

今回、「田母神論文問題」に関して田母神前航空幕僚長は、テレビで「自分の考え」を披露している。ただし、国会の外交防衛委員会で参考人として呼ばれたものの、ほとんどが浜田防衛大臣の責任問題に終始してしまい、現場の生の声が国政に何ら反映せず、それどころか単なる「政争の具」に使っただけであった。
これが「軍国主義に対する反省」として肯定されるのであれば、それこそ「誤った歴史認識」と言わざるをえないだろう。

ただ、今回は「Civilian」の定義づけについては特に触れないでおきたい。(論文を書くまでの労力は使う気力がない上に、「Civilian」の定義づけだけで、エントリーどころか論文が書けるので。)

と、一応、言い訳だけをしておいて本論へ・・・。






そもそも「文民」という言葉自体、現憲法制定の際に、ソ連から「9条の条文では再軍備が可能である。国務大臣をcivilianに限定するべきである。」という要求があったものの、日本語で「civilian」に対応する単語がなく、急ごしらえで慌てて作った単語である。このため、日本語の「文民」に対する理解が日本国民の中において、必ずしも共通認識として確立されたとはいえない。

それを承知であえて「Civilian Control Over the Military(Civilian Supremacy)」として日本国内で理解されているものを具体的に言うとすれば、それは『Political Control』であって『Democratic Control Over the Military』ではないと考えている。

旧憲法下においても、軍に関しては「Political control」が基本であった。軍部大臣が武官に限定されていたため、「Civilian Control」ではなく、また、「統帥権」の範囲があいまいであったことから、土台が弱い「Political Control」ではあったが、人事、予算等、軍に関する最重要事項は「軍政」として陸軍省と海軍省の管轄であり、開戦、停戦、講和については、それこそ内閣の管轄事項であった。宣戦布告やポツダム宣言受諾の詔勅には、陸軍大臣と海軍大臣の副署はあるが、参謀総長と軍令部総長の副署はない。これをみても、戦前においてですら、「軍を動かす」のは「政治」であったことは明らかである。

余談だが、「軍部の独走」が起こったのは、満州事変や統帥権干犯問題がきっかけであるが、満州事変は、関東軍の独走であって、軍中央にすら秘匿されて行われたものである。
「統帥権干犯問題」に至っては、「軍と政治の対立」ではなく、「海軍内部の権力闘争」と「議会内の権力闘争」がシンクロした産物であり、軍と政治が対立した結果ではないということである。
海軍内部でもロンドン海軍軍縮条約推進の「条約派」と条約反対の「艦隊派」があり、条約派には、当時の財部海軍大臣をはじめ、谷口尚真、山梨勝之進、左近司政三、寺島健、堀悌吉、下村正助、米内光政、井上成美、山本五十六などがあげられる。しかし、「大角人事」と呼ばれる粛清人事によって、これらは予備役にされたり、あるいは左遷人事の憂き目に遭い、軍拡に傾いていった。
帝国議会においては、与党憲政会・民政党と野党政友会が権力闘争をしており、政友会側が若槻内閣を攻撃する材料として、この条約を「統帥権干犯である」と非難し、これにより政治の自殺行為が行われたのである。

先の太平洋戦争において東條英機が1944年2月に陸軍大臣と参謀総長を兼任し、嶋田繁太郎が海軍大臣と軍令部総長を兼任したことがある。これは、軍政と軍令のトップを1人が兼任することで、統帥権干犯問題で露見した『軍政が軍令をコントロールしきれない』状態を阻止し、「軍の作戦は政治の従属下におかれ、政治は軍の状況をみて対処する」という、軍政と軍令のいい意味での一体化を図ったものである。

これも余談だが、よく反戦平和運動の連中が「歴史を美化する」と歴史修正主義サイドを非難するが、反戦平和運動の連中も、実に都合のいい「美化」をしている。
反戦平和運動の連中が猛烈に批判する「軍国主義」のきっかけとなった『統帥権干犯問題』。ロンドン海軍軍縮条約を統帥権干犯だとして、若槻内閣を帝国議会で猛攻撃したのは、政友会の総裁で「話せばわかる」という言葉で有名な元総理大臣・犬養毅であり、孫が「民主党の創設者」と「友達の友達がアルカイダ」である日ソ国交回復・国連加盟に尽力した元総理大臣・鳩山一郎であることは、特に記しておかねばならないだろう。






長々と「Political Control」について記述したわけだが、なぜ、これと田母神論文問題がつながるのか。

『Democratic Control Over the Military』

「民主的統制」と直訳され、具体的には、単に「Civilianであればよい」という消極的なものではなく、「Democratic」、すなわち、国民の代表者たる国会議員が、国会における公開の質疑と答弁を通じて、効果的な法律を制定するなどを通じて統制することである。
もちろん、そのためには、機密が漏えいしない程度に、最大限の正確な情報を国会議員を通じて国民が得て、その情報をもとに質疑を行い、法律案を審議することが欠かせない。

そして、これはにわかに信じがたい話であるが、「Democratic Control」は、実は戦後よりも戦前の方が機能していた、というのが事実なのである。

戦前は、確かに軍部大臣は現役の武官であった。しかし、このために「現役の武官が、議会に出席して、議員の質疑に答弁していた」のである。
この一例として有名なのが、1937年1月21日、第70回帝国議会における「腹切り問答」である。
政友会に所属する浜田国松代議士が、当時陸軍大臣だった寺内寿一に対して、「軍の政治介入が度が過ぎるんじゃないのかね?」と質問を行い、寺内陸軍大臣は「それは軍に対する侮辱だ!」と激怒したところ、浜田代議士が「どこに軍を侮辱する発言があるのだ?あったら俺は腹を切ってお詫びする。もし、そんな発言がなかったら、寺内大臣、君が割腹しろ!」と応酬したため、論破された寺内大臣が逆切れをして議会の解散を求めたものの、論破された寺内大臣の発言を取り入れる人など存在せず、逆に寺内は陸軍大臣を辞任したため、内閣は総辞職に追い込まれたという、まさに「議会が軍を追い込んだ」すごい事件である。

これ以外にも、斎藤隆夫代議士による「粛軍演説」「反軍演説」事件がある。
これは、直接軍に対するものではなく、また、議会の議決により議員除名の憂き目にあったので、「Control」という点では事例とはならないものの、日中戦争をやめようとしない近衛内閣や軍にいらだちを覚えた代議士の代表質問を、現役武官(陸軍大臣と海軍大臣)が直接耳にするわけであり、少なくとも議会が軍と直接質問し、答弁を得るという仕組みは成立していた。

では、戦後はどうであろうか。
防衛庁~防衛省の大臣と「背広組」は、国会に出席して国会議員の質疑に対して答弁している。が、制服組が国会議員の質問を受け、答弁した例は極めて少ない。
官僚は優秀ではある。しかし、国家一種を通過しただけの話であって、専門知識は素人に毛が生えた程度でしかない。
大臣・副大臣・政務官は、与党内の人間関係論に左右されるため、素人に毛が生えた程度の官僚よりも、さらに専門知識がないことも珍しくはない。つまり、軍事問題に関して日本の国会は、専門知識が心もとないCivilianだけで質疑と答弁を行っているのである。専門知識がないということは、「言っていいことと隠すべきことの区別がつかない」ということでもある。この区別がつかなければ、機密漏洩の危険性を回避しようと思えば、「機密に関わるため、お答えできません」という答弁しかできない。でも、これでは情報が一切公開されないのだから、国会や国民の監視なんてできるわけがない。従って、戦後の方がむしろ、国会議員が軍の統制を困難にしてしまっているのである。

では、「制服組が国会に説明員として出席し、議員と直接質疑応答できるか」というと、実は「できる」のである。源田実航空自衛隊航空司令は、F-104戦闘機導入に関して、その説明を国会で行っている。(もっとも、航空機選定のため、直接渡米して説明を受けてきた、ということで呼ばれたわけだが。)

『Democratic Control Over the Military』を発揮するならば、むしろ幕僚長クラスは、外交防衛委員会には常時出席しておくことが望ましい。「軍政」に関する事項を背広組がイニシアティブを握るのはいいとしても、「軍令」に関する事項は、やはり専門知識がある制服組しかできないことであり、その制服組を、国会議員が直接コントロールするのであれば、すぐに質問・答弁できる形が好ましいことは言うまでもない。
そして、これは嫌らしい言い方ではあるが、「腹切り問答」での浜田代議士のように、質問者の技量によっては、防衛省内の「矛盾」をあぶりだし、これによって、さらなる統制を行うことも可能になるというメリットもある。

田母神さんは、テレビで「思い」を余すところなく話してくれた。
「論文」そのものは、とても「論文」と呼べるような代物ではないし、「歴史認識」以前に「歴史の知識」が弱いのは確かである。田母神さんを支持する方々には申し訳ないが、「田母神論文」そのものは、私はまったく評価はしていない。しかし、田母神さんは、現場の自衛官の不平不満を、国民に包み隠さず示してくれた。「不平不満」というよりは「悲鳴・切なる思い」という方が適切なのかも知れない。
自衛官の歴史観や国防観が正しいか正しくないか、自衛官の「教育」の在り方が正しいか正しくないか、そのことについては議論があるところだと思うが、少なくとも、田母神さんが公の場で発言しなければ、国民は誰も気づかなかっただろうし、Civilian Controlについて考える機会もなかっただろう。

いくら「戦前の反省」があるとはいえ、自衛官も感情を持った人間である。「軍は無条件にCivilianに従え」という態度で無理やり抑え込んでも、不満が爆発してしまったらCivilian Controlもあったもんじゃない。制度上で「文が武の上位に位置し、武は文に常に従う」ものであったとしても、できれば、相互に理解しあい、問題を共同で解決して、お互いに敬意を持って社会に共存することで、自衛官が自らに誇りを持ち、「国民に奉仕する公務員としての自衛官」としていてくれる方が、より平和でよりCivilian Controlが機能すると、私は考えるがどうだろうか。
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9条の戦士

「Democratic Control Over the Military」の話、よく整理されていて飲み込み易かったです。戦前の方がまだしもシビリアンコントロールが機能していたいう話は、その通りだと思いました。

考えてみれば、シビリアンコントロールが戦争を抑止するなんてことは全くないのですね。世界でもっとも民主的(かどうは知りませんが)なアメリカが、最大の戦闘国家だという現状をみれば。

ところで、最後の

「相互に理解しあい、問題を共同で解決して、お互いに敬意を持って社会に共存することで、自衛官が自らに誇りを持ち、国民に奉仕する公務員としての自衛官」

について。護憲派の私としては、“国民”に“人類”を付け加えて、“日本国民と人類に”としたいところです。そして、自衛官に誇りを持ってもらうとするならば、やはり実際に活躍する場も与えてやる必要があるでしょう。災害派遣に限定せずに。

そうなると思い起こすのは、伊勢崎賢治氏ということになります。「自衛隊の国際貢献は憲法9条で」。“9条の戦士”として、自衛官たちの誇りを支えていく道はないものか? そんなことを考えています。

愚樵さん

>考えてみれば、シビリアンコントロールが戦争を抑止するなんてことは全くないのですね。世界でもっとも民主的(かどうは知りませんが)なアメリカが、最大の戦闘国家だという現状をみれば。

そもそも「Civilian Control」というのは「戦争を抑止する仕組み」ではありません。
軍の暴走を抑止し、国民の権利利益を侵害させないようにするための仕組みであって、「軍は政治に従う」ことを保障するためのものです。
アメリカが世界最大の戦闘国家かどうかは、評価にもよりけりですが、「国民の世論を反映するからこそ」戦争が勃発することもあります。アメリカの場合は軍産複合体の産物である側面もありますし、世界の警察官という勘違いも背景にあるかと思います。


伊勢崎さんの「国際貢献は憲法9条で」というのは、伊勢崎さんの「非軍事での貢献し、人類の殺傷を極小化する」という理想の発言ですが、一方では、シエラレオネのように「大虐殺を命じた反乱勢力の首領を、無罪放免するどころか国家No2にした。」という、伊勢崎さんの言葉を借りれば「100%譲歩」によってもたらされる、人道的にこれでよいのかどうか、伊勢崎さんが苦悩に苦悩を重ねて、被害者からの恨みや停戦の失敗も覚悟しながらの、本当に腹をくくった取組みなのです。

反戦平和の連中は、伊勢崎さんや中村哲さんの取組みを称賛し、目標として支持し、私たちのような主張を批判する根拠としていますが、これはご本人に直接うかがったわけではないので推測にすぎませんが、おそらく、こうした反戦平和の連中に対して最も迷惑に感じている、もっといえば「私たちの気持ちを理解してくれていない」と嘆いているんじゃないかと思います。
本当にギリギリのところで、伊勢崎さんも中村さんもやっていますよ。逆に、自衛隊の海外派遣を本気で推進した側も、「戦前を思い起こして警戒されないか」「日本の行動が、はたして信頼され支持されるだろうか」という心配との葛藤、つまり「自分と戦い」ながらの提言なんです。

私は、自衛隊海外派遣の賛成反対、双方とも、ちょっと思慮が足りないな、という感じを持っています。

>日本語の「文民」に対する理解が日本国民の中において、必ずしも共通認識として確立されたとはいえない。



それに関しては、「文官」という日本語がもっと良く体現していると言えよう。
文官に関しては用語辞典を参考にすれば分かりやすい説明があるので参照にされるべきだろうが、
少なくとも、文官→文民という経緯があることは、貴族院による審議過程によって説明できよう。

まず、日本国憲法では職業政治家以外の大臣登用が可能になったことによって、
官僚・政治家を限定する「文官」という言葉では妥当性がないのである。

したがって、造語として文民という言葉が必要になったと考えられる。

同時に、日本の歴史において、
僧籍による軍事権の暴走・道鏡の専横の事例を鑑みて、
「文官」では僧籍を排除できないからこそ、文民というのが説得力を持つのであろう。

既存の文民という用語では、おおむね、軍人を排斥することには異論はないが、
僧籍を廃する「文民」解釈が歴史的に存在するのは、そのような「文官」という概念の見方の深さに起因するだろう。
つまり、文官では僧籍官僚が政治に関係できてしまうが、(政教分離の問題)、文民ならば市民であり聖職者は市民ではないので、都合がいいのである。

日本史しか学習していない人には理解できないだろうが、市民の意味する部分は重要で、文民の意味の背後に市民もあることを鑑みる必要性があるだろう。


つまり、文官という言葉よりも、より日本国憲法に相応しい用語として「文民」という邦訳が生み出されたのであって、「文官」でも本義問題なかったと言えなくもない。
別途で政教分離が憲法規定されているとも言えるのだから・・・・

むしろ、共通認識として確立していないのは、9条の建前で、
”自衛官は軍人”ではないという取扱いからこそ、厳密に規定に解釈での言及ができない部分があるのだろう。
 
一方、政治的に考えても、文民統制が語られることなかったのは、9条の問題のせいだろう。
 実際、語る必要性がある部分を避けてきたにすぎないのだろう。
 例えば、軍人あがりの防衛大臣が就任することへの制約は、慣習的に諸外国では設けられているが、日本では見当たらない。
 これらは日本だけに見られる問題点だろう。
馴染まないのではなく、馴染ませようとする議論を行ってこなかったのであろう。
 
 逆に、冥王星などは度々要請しているように、文民統制の規定を行うべきと思っているし、それが慣習的にでも明確化するべきだろうと言明できるのである。
 そのいい機会であったのだが、なぜか幕僚長は逃げているのである。
本当に幕僚長が国家を案じて、政治見解を否定している発言であるならば、
論文は国益のための発言として自己擁護するべきだろう。
そして、職責を問われたことに不服があるならば、
司法に出るべきであろう。
もっとも、「公益通報保護法」によって提訴することがもっとも理論的に妥当性があるだろう。
実に幕僚長の卑怯な部分は、橋下知事と同じように、民意を扇動しながらも持論の正当性を補完するための行為を行っていないのである。
 橋下知事が「弁護士の懲戒請求を扇動した」事例を同じである。結局、橋下知事は、威力業務妨害で敗訴したわけだが、敗訴よりも、直接請求しなかったという言説と行動の不一致に問題があろう。

 つまり、幕僚長・橋下知事とも、言うだけ言って行動しないヘタレという共通項は言えよう。そういう人間の説得力は言うまでない。
 自己決定・自己責任論という意味でも、彼らは卑怯であるし、矛盾の塊と言えようが、彼自身はそれを甘受できるとは思えない・・・

そもそも、幕僚長は、純正の軍人ではないことは、日本国憲法が言う問題であって、法的解釈では言明できない問題である。
文民統制とは、法的問題ではなく、政治的拘束性の論題である。
 政治的な問題で述べるにしても、論文の問題は、文民統制の規定を明確化しなかった経緯が問題であろう。

 同時に、これまで公表された国防に関しての言及では、政治見解を否定するものでは、解任が通則である。
 今回、前例が踏襲されず、降格処分だったことにも問題がないと言えない。

 なにより、前例が解任であるのに、今回は降格であるは矛盾であるし、その理由さえ明確化されないでは問題があろう。

一部のアフォな世論は、退職させられたように解釈しているが、あくまでも降格である。更迭という言葉の意味を「退職させられた」という解釈で理解しているアフォがいるから非常に問題がある。それに関しては、各自で言葉の意味を確認してほしい。

>これはにわかに信じがたい話であるが、「Democratic Control」は、実は戦後よりも戦前の方が機能していた、というのが事実なのである。

程度論としてこれは間違いだろう。
では、大政翼賛会体制以後は、文民統制と言えるだけの意思決定過程がどれだけあるのだろうか?
 一部の事例だけで「文民統制」は守られた、では立証にはならない。

逆に反証を山のように出せるし、軍事的意思決定の説得力の問題ではなく、優先順位の問題で、文民統制は論じられるものであることも配慮するべきだろう。
なにより、もっとも重要視するべきは、最高意思決定者である総理大臣の職制の問題だろう。

例えば、東條英機・小磯國昭は軍人のまま総理になった存在である。

これは、最高意思決定者を軍人以外とする文民統制の最低限の慣習さえも守れていないことの証明であろう。

何より、文民統制の一般的要件は、総理大臣だけではなく、軍事意思決定権の直接的責任者である国防閣僚も軍人で占めるべきではないという考えもある。

大日本帝国憲法では文民統制は謳われるものではないので仕方ないだろうが

戦前のおいての文民統制は大政翼賛会体制によって明確に反故にされていることは、二人の総理大臣でも明白だろう。


>戦後はどうであろうか。
軍事問題に関して日本の国会は、専門知識が心もとないCivilianだけで質疑と答弁を行っているのである。

これに関しては、整理しておく必要性がある。
 確かに、制服組軍人の発言は極めて限定されていることを憂慮するべきだが、決して、制服組軍人の意見は国会に聞こえないわけではない。あくまでも背広組軍人を通すことによって伝わるものである。
 問題は、市ヶ谷の背広と制服の相克である。
これに関しては、意見することは立場の問題で避けるが、冷静に国防を論じるべき立場の背広が暴走としているという意見が多数に制服組にあることを指摘しておく。

>機密漏洩の危険性を回避しようと思えば、「機密に関わるため、お答えできません」という答弁しかできない。でも、これでは情報が一切公開されないのだから、国会や国民の監視なんてできるわけがない。従って、戦後の方がむしろ、国会議員が軍の統制を困難にしてしまっているのである。

これは、残念ながら違う。機密性のある情報は、国会に付されるものではなく軍法会議などで審議されるべきであろう。
 なにより、軍事的機密情報の取り扱いは高度に内部規範としての拘束性を要請するもので、国会での問題ではない。
 つまり、国会という立法府で取り扱うものではなく、行政府の枠組みで統制するのが世界の基本趨勢であろう。
 あくまでも、軍事の大局的な意思決定を国会に図るのならば、理解できるが、
詳細の問題を精査するのは行政人の仕事であり立法府の権限とは言えないだろう。

 立法府はあくまでも提供されうる情報から、議論されるべきであって、その提供されうる情報の射程も重要視されるべきだろう。


 さて、制服組軍人の発言を要請することは同意する立場であるし、
幕僚長問題でも冥王星は、制服組軍人の国会発言を要請している。
 なにより、冥王星個人は、参議院改革で職業軍人の国会議席の提供を要請する立場なのであるから、異論はない。

 ただし、意志決定として制服組軍人の文民統制は守られるべきというのは、既存の民主主義国家の共通であることを鑑みる必要性があるだろう。
 それを軽視した状態では、タイ・ミャンマーなどの二の舞になるのであり、ジバブエのようになりえてしまうのである。
 もっとも、今の自衛隊の全体が暴走するような集まりとは到底思えないし、彼らは一部を除き理性的であることを体感している立場としては、かなり自衛隊を信用しているのだが・・・

>相互に理解しあい、問題を共同で解決して、お互いに敬意を持って社会に共存することで、自衛官が自らに誇りを持ち、「国民に奉仕する公務員としての自衛官」としていてくれる方が、より平和でよりCivilian Controlが機能すると、私は考えるがどうだろうか。

 同意したいのだが、同意できない人がいることも考えるべきだろう。
 現代の自衛官の政治権利からして、あまりにも市民と違いすぎるのである。

今回の問題で、文民統制に噛みつく人間は多いが、
一方、自衛隊法61条・自衛隊法施行令87条などの制限され続ける自衛官の市民権について意見する人間はいない。

 逆に冥王星のように軍隊に懐疑的ながらも、市民権意識の強い人間が、自衛官の市民権の問題を危惧するコメントを発するのだから、不健全だろう。

まずは、自衛官の政治活動を制限付きで認めるなどの措置で国民に近い自衛官であるようにするべきだろう。
 今、制服組軍人の意見を聞ける市民はほとんどいない。
冥王星ように批判的な人間でも信用できる人間は、市ヶ谷でも相手してくれているようだが、市ヶ谷は市民を信用できないほど不信感に至っている。
 それは市民・自衛官の双方の問題だろうが、自衛官が意見を発することができる環境を作るべきだろう。
 しかし、それは決して、文民統制を否定することではない。
あくまでも、自衛官の自由権の保持の上での政治的制限の保守でしかない。


まぁ、関係ないが、10日に沖縄にf-22ラプターがきたそうで、今日には6機くるそうだ。
涎を垂らしながらf-22を見るしかない現状が続けばどうなるか?
そして、禁輸措置の背後の米国世論を精査する余地があるだろう。

もし、f-22問題が米国議会で議論されている時に、幕僚長論文が出たら、アメリカのリベラルがどう反発するか・・・・・・
 そういう純粋なミリタリーな部分でも論文の問題は深い問題があるのだが・・まぁ、f-22の禁輸解除は、世界的経済不振で解除されるかもしれないとある意味では喜んでいる。


総括

残念だが、部分的には精査の余地が残る記事だろう。

もちろん、指摘する部分に同意できる部分はあるが、
 文民という言葉に関しては、曖昧な状態で考えてこなかった立場としての意見とは言えようが、逆に考えてきている立場からすれば、「何を今さらでしかない」。
それでも意見だが、踏み込んで、文民統制を規定するべき、だというスタンスになるべきだろうと思う。
 ちなみに、安倍政権の時に提示されたNSC構想は、安全保障を考える上では、必要な措置だったと思っている。
今では語られることも少なくなったし、論題にさえ上らないが、これを静止したのが、内閣法制局であるのは・・まぁ、なんでもないw


愚樵さんへ

面白そうなので指摘しておきますが


>シビリアンコントロールが戦争を抑止するなんてことは全くないのですね。

 残念ながら、これは妥当な考えではありません。
理論上での抑止性を認めることはできますが、なにより、実証がありません。
 文民統制で戦争が抑止できる、ということを実証できるはずもないのです。
だから、「抑止できるかもしれない」程度であるのが妥当でしょう。

>世界でもっとも民主的(かどうは知りませんが)なアメリカが、最大の戦闘国家だという現状をみれば。

にアメリカが民主的国家というのは間違いでしょう。。

民主主義をどう規定するか?という問題にもありますが、

 日本では語られることはありませんが、アメリカは思想弾圧の起こった国家です。マッカーシズムはアメリカの思想ヒステリックであり、文化的被害は計算できない規模と言われています。
 なにより、多数決の原理を民主主義にすれば、アメリカ大統領選挙は、その原理を採用できていません。
 それを明示するのが、ブッシュ氏の第一期の大統領選挙人選挙です。
 得票総数・得票率ともゴア氏が勝利しながらも、選挙人制度によって、過半数を占めないブッシュ氏が大統領になったわけですから、これを民主的というのは疑問がつくでしょう。
 そもそも、日本では、アメリカを民主国家とみている人が多々いますが、EUなどでそう思っている人はほとんどいません。
 EUではマッカーシズムについての知識もありますし、多民族国家のアメリカの様々な差別を知る機会を得ているからです。
 アメリカはアメリカの民主制を偶像視しているに過ぎず、日本の教育の民主主義がアメリカ民主主義を基準にしているだけとも言えましょうが・・・・・
 
>そして、自衛官に誇りを持ってもらうとするならば、やはり実際に活躍する場も与えてやる必要があるでしょう。災害派遣に限定せずに。

 では、自衛官の誇りとはなんでしょうか?という問題になります。

 私が知る限りですが、自衛官には国外問題に関しては保守的な方々もいらっしゃります。
 いわゆる「単独平和主義」の方です。現代社会のグローバル化は、自国のみの平和を追及することを許しませんが、それでも、そのような自衛官はいらっしゃりますし、それは憲法射程に収まるものと広く解釈されるものです。

 一方、海外派遣に肯定的な自衛官もいらっしゃりますが、それは多数ではありません。
 憲法上での海外派遣の否定論が多数あることから、二の足を踏む方が多いのも理解できます。
 一方、民主党のUNSAS(国連待機軍)のようなフレキジブルな自衛隊派遣を提唱する方もいますが、これは極めて少数です。
 
 自衛隊を使役するのは国民ですが、自衛官の誇りは、我々が考えることではなく自衛官自身の意思で語られるべきでしょう。
 そういう意味では、自衛官が意見できるように自由権を保守してあげる必要性があるでしょう。

 まず、文民統制という言葉を明確に規定する試みをもってして、この問題は論じられるべきと思います。
 そのためには、まず、文民統制の最低限の要件である
「最高意思決定者は文民(文官)である」という規定を理解する必要があるでしょう

文民統制とは「軍隊が~~~」であるというよりも、「最高意思決定権が文民である」というものであることは憲法が語る通りでしょう

第66条 内閣総理大臣その他の国務大臣は、文民でなければならない。

以上・・・・・最後はワクワク氏にも通じることで、文民統制の規定についてはグレーなままでいいのいではなく、最低限持論として規定もって論じるべきでしょう。

冥王星氏へ

久々に対立型の反論がきて、正直うれしい。(謎)
せっかくなので、反論を試みたい。

「文民」と「文官」の違いについては、まったく異論はない。
私が問題にしているのは、「『文民』という単語に関する共通認識が醸成されていない」という点であって、「文民」そのものを問題視しているのではないので、そのあたりはご了承願いたい。

また、「『文民統制』についての問題」に関しては、これは冥王星氏が指摘したとおりであって、これも異論はまったくない。
憲法問題にも触れるが、国民的なコンセンサス、特に旧社会党などの勢力との政治的な絡みにおいて、建前としては日本には軍が存在しないことになっている。軍が存在しないことは、武官が存在しないことを意味するのであって、このために「文民が統制する」という概念そのものが、本来的には発生しえないという点は、やはり認識しておくべきものだと思う。

>そして、職責を問われたことに不服があるならば、 司法に出るべきであろう。
>もっとも、「公益通報保護法」によって提訴することがもっとも理論的に妥当性があるだろう。

これについては、反論というよりも、教えを乞いたいという気持ちなのだが、解説していただければありがたい。
おそらく私の解釈が妥当ではないのかも知れないが、今回の件について田母神前幕僚長が原告適格を持ちうるものかどうか、そのロジックを組み立てることができなかったので、申し訳ないが、教えを乞いたい。

>なにより、前例が解任であるのに、今回は降格であるは矛盾であるし、その理由さえ明確化されないでは問題があろう。

これについては、異論がある。
田母神氏の「立場」について、役職が幕僚長であったために、例外的に定年が延長されていたわけで、その「幕僚長を解任した」のであるから、その例外が外れ、自動的に定年退職とされたわけである。なので、「解任されていない」というわけではないと私は解釈しているので、「うまくやったな」という感じではある。
もちろん、「自動的に定年退職」となったために、本来必要であるはずの「降格の理由開示」がなされなかった点については、お説のとおり、問題があるとは思う。

>一部のアフォな世論は、退職させられたように解釈しているが、あくまでも降格である。更迭という言葉の意味を「退職させられた」という解釈で理解しているアフォがいるから非常に問題がある。それに関しては、各自で言葉の意味を確認してほしい。

政権側は「臭いものに蓋」でウヤムヤにした『自己保身』、野党や革新政党、マスコミ側は「処罰をして欲しい」という『希望』によって、もたらされた悪質な「印象操作もどき」だと私は考えている。
そもそも一般庶民は、自衛官の人事制度についての知識がない。このため、このような情報操作をされれば、「退職させられた」という理解になるのは、ある意味やむを得ないであろう。


>>これはにわかに信じがたい話であるが、「Democratic Control」は、実は戦後よりも戦前の方が機能していた、というのが事実なのである。
>では、大政翼賛会体制以後は、文民統制と言えるだけの意思決定過程がどれだけあるのだろうか?
>一部の事例だけで「文民統制」は守られた、では立証にはならない。

もちろん、戦前は「Civilian Control」ではないので、この具体的概念である「Democratic Control」や「Political Control」という単語を、そっくりそのまま使うことは適切ではない。
なので、『軍部大臣が武官に限定されていたため、「Civilian Control」ではなく、また、「統帥権」の範囲があいまいであったことから、土台が弱い「Political Control」ではあった』と、一応断りを入れてはおいたが、表現方法が誤ったのだろうか、それは今後注意したい。

私の意図は、あくまでも「幕僚長などの現役「武官」を国会に出席させ、国会議員との質疑応答を直接させるべき」という意見であって、戦前は「現役武官が議会に出席して、代議士と直接質疑をしていた」ということを導きだすための文である、と釈明しておきたい。

>確かに、制服組軍人の発言は極めて限定されていることを憂慮するべきだが、決して、制服組軍人の意見は国会に聞こえないわけではない。あくまでも背広組軍人を通すことによって伝わるものである。

まぁ、これは程度問題だと思うので、「あった方がいいんじゃないかな?」というレベルであって、「いや、そんなことしなくても大丈夫」というのであれば、ぜんぜん問題ないから・・・。(笑)

>>機密漏洩の危険性を回避しようと思えば、「機密に関わるため、お答えできません」という答弁しかできない。でも、これでは情報が一切公開されないのだから、国会や国民の監視なんてできるわけがない。従って、戦後の方がむしろ、国会議員が軍の統制を困難にしてしまっているのである。

>これは、残念ながら違う。機密性のある情報は、国会に付されるものではなく軍法会議などで審議されるべきであろう。
>なにより、軍事的機密情報の取り扱いは高度に内部規範としての拘束性を要請するもので、国会での問題ではない。
>つまり、国会という立法府で取り扱うものではなく、行政府の枠組みで統制するのが世界の基本趨勢であろう。

それはそのとおりなのだが、私が問題としているところは、「機密性の判断が、専門知識がない人にはできない」ために、本来国会で発言してもいいレベルの事項であってでも、機密漏えいを防止するならば、すべての質問に対して「機密にかかわるのでお答えできません」と答弁してしまうことになる、そうなれば、必要最低限の情報すら開示されない状態での国会審議になるであろう。ならば、それを判断しうる専門知識を有する制服組を出席させ、直接質疑させた方が、機密保持と情報公開の両立を図りやすくなるのではないか、ということである。
もっとも、これは私の「意見」なので、これについて反対はあると思うし、それを否定するつもりは毛頭ない。

>あくまでも、軍事の大局的な意思決定を国会に図るのならば、理解できるが、詳細の問題を精査するのは行政人の仕事であり立法府の権限とは言えないだろう。

まったく異論なし。

>立法府はあくまでも提供されうる情報から、議論されるべきであって、その提供されうる情報の射程も重要視されるべきだろう。

私が制服組の国会出席を積極的に行うべし、という考えに至ったのは、まさにその点である。

>ただし、意志決定として制服組軍人の文民統制は守られるべきというのは、既存の民主主義国家の共通であることを鑑みる必要性があるだろう。
>それを軽視した状態では、タイ・ミャンマーなどの二の舞になるのであり、ジバブエのようになりえてしまうのである。

これも異論はまったくない。
私の発言は、まさにそのためのものであって、制服組に権力を握らせるためにあるのではない。

>>相互に理解しあい、問題を共同で解決して、お互いに敬意を持って社会に共存することで、自衛官が自らに誇りを持ち、「国民に奉仕する公務員としての自衛官」としていてくれる方が、より平和でよりCivilian Controlが機能すると、私は考えるがどうだろうか。

>同意したいのだが、同意できない人がいることも考えるべきだろう。
>現代の自衛官の政治権利からして、あまりにも市民と違いすぎるのである。

まぁ、これは私の「問いかけ」だから。(笑)
他に適切な方法もあるだろうし、決して私の見解がベストであるとは思ってない。むしろ、ガンガン反論して欲しいので、今回のこの反論についても、ツッコミをよろしく。(笑)

>今回の問題で、文民統制に噛みつく人間は多いが、一方、自衛隊法61条・自衛隊法施行令87条などの制限され続ける自衛官の市民権について意見する人間はいない。
>逆に冥王星のように軍隊に懐疑的ながらも、市民権意識の強い人間が、自衛官の市民権の問題を危惧するコメントを発するのだから、不健全だろう。
>まずは、自衛官の政治活動を制限付きで認めるなどの措置で国民に近い自衛官であるようにするべきだろう。
>今、制服組軍人の意見を聞ける市民はほとんどいない。
>それは市民・自衛官の双方の問題だろうが、自衛官が意見を発することができる環境を作るべきだろう。
>しかし、それは決して、文民統制を否定することではない。
>あくまでも、自衛官の自由権の保持の上での政治的制限の保守でしかない。

これは完全に同意。

>冥王星ように批判的な人間でも信用できる人間は、市ヶ谷でも相手してくれているようだが、市ヶ谷は市民を信用できないほど不信感に至っている。

国民の生命財産を守護するための職業が、その市民に不信感を抱いているというのは、実に憂慮すべき事態である。これを解消するためにも、制服組がもっと表に出てくるべきだと思う。


ラプター問題だが・・・これには、私は驚いている。
今までも、選定候補にアメリカ以外の兵器をリストアップすることはあっても、バレバレの「ごまかし」でしかなく、見てて冷笑していた。
今までは、ボーイングであれロッキードであれ、ペンタゴンを通じて「圧力」をかけて決められていたわけだが、今回は、米国上院の輸出許可がなかなか下りなかった時点で、ロッキードのロビーイング対象が「米国議会」になっていて、日本に対してはボーイングとロッキードの「宣伝合戦」になっており、立場が見事に逆転してしまっていた。

F-15に関しては、ライセンス生産前の直接購入時代、ダウングレードにした上に、米国向けよりも高値で売り付けていた。
今回も同じケースになりそうだと考えていたのだが、一時期ではあるが、ロッキードが日本に対して米国向けと同じスペックで、米国向けと同じ値段でいい、という話も出たぐらいである。それに対抗してボーイングはF-15FXの提案をしてきたのだから、時代は変わるもんだなと。

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鍵コメの人へ

残念ながら、私よりも知識も認識も低いですよ、君は。

そして、私に対して上から目線でコメントをするくせに、鍵コメという卑怯なことをしでかす。

まずは謝罪しなさい。謝罪しないで、まだ「わくわく44はモノを知らない、私が教えてあげるから、謙虚になってね」的な言動をするようなら、この鍵コメをさらした上で論破します。

いい加減にしろ。

wakuwaku氏へ
>おそらく私の解釈が妥当ではないのかも知れないが、今回の件について田母神前幕僚長が原告適格を持ちうるものかどうか、そのロジックを組み立てることができなかったので、申し訳ないが、教えを乞いたい。

まず、原告適格において、原告として却下される可能性は高い。
ただし、これに関しては当然想定されるだろうが、それでも論文が正論であるというならば、司法に出ることによって正義を主張するべきだろう。
同時に、この主張によって、公務員の政治運動についての見解が明示されるならば、それで争居続ければいいのであろう。
 よくよく靖国裁判などの原告のやり方を批判する人もいるが、彼らは己の法的正義に対する疑心や正当性を求めて闘っているのであって、戦わない幕僚長に比べれば、公平であろう。
つまり、出る場所に出ないで、吠えているだけのチキンが幕僚長であるということは、見方として当然あろうということである。
 更に踏み込むと、何も公益通報の問題ではなく、公務員の処罰に関する規定は自衛隊内の倫理委員会などで起こすこともででるはず。これさえしていないのである。
 手段を尽くした上で、抗弁するならばまだ理解するが、できることをやらないで一方的に批判するようでは、邪推されても仕方ないだろうし、公平性がないということである。

さて、詳細の文脈について、まず先に詫びるべきかと思う。
その理由は、もう少し記事の文章を精査して読むべきだったことに問題がある。
例えば、
「Civilian Control Over the Military(Civilian Supremacy)」として日本国内で理解されているものを具体的に言うとすれば、それは『Political Control』であって『Democratic Control Over the Military』ではないと考えている。

という記述部分をかなりスルーしてコメントしている部分にある。
ここがその後の文章において大きな要点であって、それをスルーして読んでいた部分があるからこそ、冥王星が極論している部分があると自己批判している。
というか、冥王星が目くじら立てて反論しているというのが実情だろう。
ここは、むしろ批判されて然るべきと思うので、自己批判して、コメントに関して一部謝罪させてもらいたい。

「誤解して、暴走してごめんなさい」

さて、文末にラプター問題だが、リベラル派議会の成立で日本への風当たりが強まる可能性についてはあまり危惧した意見はない。
もっとも、マケイン氏はオバマ氏よりもリベラルっぽいとも言えたので、リベラル同志の大統領選ともいえるのだが、それは別においておく・・・・

 ラプターに関してだが、アメリカが反動的に禁輸措置解禁という流れは難しいという見解が市ヶ谷に多いようである。
 その理由として、
(極東軍事バランスの問題で中国とロシアの連帯が強化されているが、日米の連携強化に対する日本世論が厳しい状況であって、)
ラプターが外交的切り札になりえるという外交的判断にあろう。

 すでに、ラプターを外交手段として行使するようなコメントが見られているようで、それに関しても市ヶ谷が気を張っていることもある。
同時に、f-35の動向も関係していて、f-35の企画が世界的経済不振を受けて厳しい状況という判断が流布していることにある。
 つまり、相対的にラプターを高く売り込めるという見方が働いているようである。

ラプターの優秀さは否定しないが、f-15の数を考えても早急なる導入の必要性は疑問視されてるが、やはり、安全保障の意味では、必要性を否定しきれない。
 リベラル派が多数の議会になったことが危惧されるものであって、オバマ氏よりも深刻な問題になろう。
 特に、過激派リベラル?のマイケル・ホンダ氏などはかなり日本にとっては問題が大きすぎることを考える必要性があるが・・・・・

まぁ、幕僚長に政治的な配慮を要請するのも気の毒と思っているが・・・・

 

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鍵コメの人へ

なぜに鍵コメ?
堂々と表に出したらどうですか?私を批判しているなら。
それとも、よほど持説に自信がないんですか?

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地球温暖化の流れに逆行して、財布の中身は常に氷河期到来している、「生活は庶民以下でも、志は貴族」(←鈴木邦男氏・談)と、言える日は来ないだろうなぁ・・・。

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