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筑紫哲也、生きてて欲しい「敵」でした

筑紫哲也さん、逝去。

語り口が柔らかで、理路整然としていて隙がない。
挑発的で怒りがこもった主張をするが、反論を必ず受け止める心の広さ。

私は筑紫哲也とは正反対の思想である。正反対どころじゃない、「週刊金曜日」の記事を見るたびに、「もし、私に殺人のライセンスがあれば・・・」と、常に心の底から怒りがこみあげてきた論者であり、ジャーナリストだった。

そんな筑紫でも、時に「おもしろい人だな」と好意的な感想を抱いたこともある。
広島カープの優勝がかかった大一番。「NEWS23」を休んでまで広島に行き、どう見ても、ふつうのカープファンのおっちゃんとしか映らなかった、コメント忘れた生放送。
「若者」がテーマの取材で、なぜか坂下千里子と一緒にゲーセンでDDRなどで熱くなり、番組終了時は、スタジオのアナウンサーが呼びかけても返事もなかった生中継。
普通ならば「好々爺」と呼ぶんだろうが、笑顔はいつも「少年」だと感じていた。

肺がんで入院し、闘病生活を続けていると報道されても、「治って、またニュースやるんだろう。あの忌まわしいコメントを、また目に耳にしなきゃいかんのだろう。」としか思っていなかった。「週刊金曜日」を見ても、「相変わらず、こいつ、こんなこと考えてんのか、こいつのせいで日本がダメになったんだ。どうしてくれようか?」としか感じていなかった。『筑紫哲也』を味わう私は、「気分だけテロリスト」であったと、今も覚えている。

今の日本で、「こいつ、どうしようもないな」と思うコメンテーターや評論家は飽きれるほどたくさんいるが、「殺意を抱く」という人は、筑紫で最後だった。どんな論が並んでも、それを読んで私が「気分だけテロリスト」になることはない。
私が殺意を抱くコメンテーターの鏡。その最後の砦が、いなくなる。

ある意味、「殺意を抱く」ような直球の論文であったからこそ、社会にとっても大きな石として、権力の暴走が起こらなかった。若者に共感できなくても、若者を理解しようとしていたからこそ、ネットで「在日疑惑」だの「早く逝け」との反響が非常に大きかったのだろう。
私のような「反対側」の人間を理解し、鋭い攻撃を繰り広げながら、反撃を身体の中でしっかり受け止める。私が筑紫に殺意を抱いたことが何度もあったのは、その「大きさ」ゆえのことだったんだろうと、感じている。


べ平連で戦った小田実。この人にも、何度殺意を抱いたかわからない。その訃報を耳にしたとき、私の中で、「失ったものへの淋しさ」が舞い込んできた。

2008年11月7日、筑紫哲也死去。享年73歳。何度となく殺意を抱いたジャーナリストの訃報を目にしたとき、私の中に「失ったものへの悲しさ」がだけが残っていた。

私が最も嫌いだったこの2人は、もういない。「2人がいない世の中で、この国は、この社会は、果たして大丈夫なのだろうか。」という不安だけが私の中に生き続けている。

でも、今はただ、ご冥福をお祈りする以外に、何もしたいことはない。合掌。
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ちょっとビックリ

拝見して、少しビックリ。wakuwakuさんらしいところと、初めてみるwakuwakuさんの一面とが同居している。いままでのwakuwakuさんの姿勢(いろいろと非難しましたね(笑))の源泉を垣間見た気がします。

私もwakuwakuさんに殺意を抱かれるくらいにならなきゃ、ダメかもね(爆)

いい記事書いてるじゃん・・
お玉にも殺意持ってくれる?(無理だよな・・お玉はそれ以前にリテラシーないモンな・・)
ワクワクさんとは意見が合わないこと多いけどさ、でもこういう切り口の文章は好きだよ。

ちなみに、冥王星は
筑紫哲也を初めとした報道主観論の隆盛状態
(ニュースステーションの久米氏、NEW23の筑紫哲也、NNN今日の出来事の桜井氏など)
は「衆愚政治」の入り口だったと断定している。

彼らのような無責任なジャーナリズムが安易に報道される状態に民主主義の問題点があるが、
なにより、それを報道側を批判しても、編集権の前では批判しきれないのである。

しかし、一方でそれらの衆愚ジャーナリズムを消費する側には批判はできるだろう。
扇動的に危機を煽ったり、主観論を展開する報道に対して、まったく視聴者は自己防衛してこなかった。
その傾向は未だに続いていて、逆に衆愚状態の責任を報道側にだけ論及している人が多い。
この批判はwakuwaku氏にも該当できよう。

もともと、学術畑の人間で扇情的ジャナーリズムを消費する人は少ないが
一般市民はそうではない。
逆に情報・知識が少ない人間ほど、簡略化され単純化かれ記号化された齟齬の多い情報に飛びつく。
政治がショー化した傾向については、日本新党ブームの時のニュースステーションでも問題視されているが、それでも国民が安易な報道を消費し、政治的問題の仔細なる部分を見過ごしてきたのである。

筑紫哲也個人に興味がないからこそ、意見できるとしたら

メディアだけを批判の対象にして、問題にすべき視聴者・国民のリテラシーの要請を行わない時点で、民主主義体制の人民としての資質にかけると言えよう。
 例えば、安易なメディア批判のために、報道の編集権の射程をどこまで認めるか?という問題提起を行ってきた視聴者は少ない。

冥王星が、正論・諸君・第三文明・潮などの問題があるジャーナリズムを批判するにも、その編集権を蔑ろにしたことはない。
逆説的に、筑紫哲也批判は、編集権の否定と言われる余地があることをどれだけ批判者は理解しているのだろうか?
ジャーナリズムの公益性の課題は当然留意されるものであるが、私人としての発言を公人化した批判などは、さすがに権利認識でも論題が大きい。

安易な批判を報道側に行って報道が担う「国民の知る権利」を蔑ろにしかねない批判が多々あることに問題がある。

筑紫哲也に関して興味はない。むしろジャーナリズム全体の中立性・公平性への問題意識なく視聴している国民にこそ、まずは問題提起しておきたい。
橋下弁護士の懲戒請求の報道でもBPOも警告したように、現在のメディアは関西系を中心として危険な状態が続いている。
しかし、視聴者が公平性・中立性を保てるレベルにない私見が圧倒的に多い。
情動的な問題で個人の発言を批判するのは結構だが、死者の尊厳すら守れない日本国民の状況は、不健全であろう。

 メディリテラシーという用語を安易に使うべきではないが、この記事はリテラシーがない人間が書くレベルの記事だろう。
 事実認識の虚偽・偽証ならば、それこそ問題提起されても仕方ないだろう。
しかし、事実認識から価値観に至る領分での、言動の情動的批判はさして価値はない。
もっとも、wakuwaku氏は冥王星よりも情動的な人格だから、仕方ないとは思うが、
ジャーナリズムを問う前に、視聴者として己の資質を問う姿勢を求めたいものである。

冥王星自身は、編集権・知る権利に関しては常に自己問答し続けている。
時代的な「権利の射程」の変化に対応できるようになるためにも、ジャーナリスト個人への情動は慎むべきだろうが


例文「僕ってハーブティー好きじゃないですか。」

わくわくさんの今回エントリーは、筑紫哲也への一種倒錯した愛情に溢れた追悼文である。ここには報道機関の編集権を侵害する程の情動的な個人攻撃的批判など存在しない。それは言いがかりだ。毎度毎度のことであるが、他人様のブログのコメント欄を拝借して、(別にたいしたこともない)自論を展開したいのであれば、少なくとも主宰者に礼を尽くすべきである筈なのに冥王星氏はそれをせず、本文記事に無理矢理、珍文・奇論をこじつけようとするので、常識をわきまえた一般読者の目には、「何?このトンチンカンなコメント」と著しく読解力の欠落したものとして映るのである。それは、望みもしない通行人にコートを開いて中身を見せつける自意識の肥大化した変質者のようなものだ。悪いことに「チョットイイデスカ」の一言すらないのである。平たく言えば、お呼びでない。

わくわくさんの記事は、自分の目で見た筑紫哲也評として成立している。批評の対象があくまでも筑紫であることには疑いようもない。これに対して冥王星氏のコメントは、筑紫やメディア批判をダシにした暑苦しい自分語りである。わくわくさんは、自分の感性を筑紫を評するツールとして使いこなしているのに対し、冥王星氏は、論説中にうかつに自分の名を出したことにより、噴出する自己愛に押し流され、冷静さを見失い、見るも無残な姿を晒してしまった。

さて、大手SNSサービスmixiで、わざわざ私のことを検索してメッセージやリクエストを下さる方もいるほど好評なので、今回も冥王星氏の「知性に満ちた」文章に注目してみよう。

>ちなみに、冥王星は

「ちなみに」とは、対象Aに対し補足説明Bが後続していることを示す接続詞である。冥王星氏は、これをいきなり文頭に持ってくる、という暴挙に出た。代表曲「だから大好きロックンロール」が懐かしいハウンド・ドックもビックリである。わくわくさんの記事本文にも、先行する第三者のコメントにも「筑紫哲也は衆愚政治のパイオニア」とする論旨は皆無である。ちいとばかしも「ちなんで」なんかいないのである。冥王星氏は、補足説明Bが呼応した対象Aの内容について直ちに明らかにせねばならない。まさかとは思うが、AとBの共通項が筑紫哲也だけだ、とでも言うつもりなら、最初から「ちなみに」となどと記述する必要はない。

>メディリテラシー(ママ)という用語を安易に使うべきではないが、
>この記事はリテラシーがない人間が書くレベルの記事だろう。

他人の文章力を問う文で誤字脱字はマズいよ。キメ台詞を噛んじゃった歌舞伎役者のように滑稽である。

>時代的な「権利の射程」の変化に対応できるようになるためにも、
>ジャーナリスト個人への情動は慎むべきだろうが

斬れば血の出る人間である以上、「ジャーナリスト個人への情動」を抑制することなど不可能である。冥王星氏自身にもできない相談だ。「情動に飽かせた批判の公言」であれば、また話は別だが。この文章に抜けているのは文末の句点だけではないようだ。

※メッセージを下さった方へ

私は冥王星氏のブログに押しかけたりすることはしません。読もうとする気すらおきません。

残念ですfが、やりちんという方の知性が露呈したようです。
(冥王星の推測では、脳に血液がいきわたらなかった部類の人を判断しますが)

>「ちなみに」とは、対象Aに対し補足説明Bが後続していることを示す接続詞である


「ちなみに」、を受けない文章があるなら提示すればいい。

「いきなり」ではないのは、ワクワク氏当人が知る部分である。
なにより、ワクワク氏とは知った中であるからこそ、「ちなみに」が使うことも可能である。

やりちんという人間の知らない世界がワクワク氏とは冥王星の間にあることは、相互に理解していることだし、なにせ、「認めたくない腐れ縁」

お互いにある程度の認知状況があれば、前提は周知の事実として使えるのであるから
「ちなみに」は使用できるのである。(この程度は推測できる人はできる)
陰文というものではあるが
言うまでもないが、「ちなみ」とは、(1)関係。縁。つながり。因縁。(2)堅いちぎりを結ぶこと。縁を結ぶこと。ちぎり。(3)つき合うこと。親しくすること。であり、文章だけに該当する言葉でもないし、前後関係が把握できるならば、使用できるものであることは、その言葉のオリジンからも推量できる。(つうか、推量できない方が日本語を考えて使ってないと思われ)

それとも、関係ない第三者が、当事者間の関係を知らずに
「おめえらの会話は意味不明だよ」と介入しているのが、当たり前なのだろうか?

やりちんという人のやりそうな「低いレベル」の話はこれまで何度もワクワク氏とはしてきたので、悪しからず。そこらを割愛できる関係だからこそ、ある程度のレベルの話を相互でやってるだけではあるし、そういう関係でもある。
(それを知らない前提で、ケチつけてきてるだけの人が、やりちんという人格なわけだw)
仲間外れにされて、情動的に言葉の誤用と叫んでるだけ。これが結論と言えるだろう。

そもそも、対論相手として、「やりちん」のような単語の使用方法も間違っている人を想定していない。
つまり、相対相手として想定していないのである。それに何を言われようと気にすることがないが、明言しておこう
冥王星は、単語の定義や内容には粘着質である。情動的な言葉の使用はしていない。少なくとも、やりちんほど軽挙ではないw

やりちん・・おまえこそ日本語ではなく単語を根本的に間違っているんだよ、と


そそもも(そもそも、の誤用)、「噛んでいる」んではないでしょw

言うまでもないが、「噛む」とは言葉を言語として発することによってしか成立しないw
つまり文語を対象にした「噛む」の表現はありえないのである、

言葉が稚拙なのは、やりちゃんという貴方自身であることを「噛む」だけでプレゼンできますよ。
他にも出しましょう

>報道機関の編集権を侵害する程の情動的な個人攻撃的批判など存在しない。

しないならば、存在することを例示しよう。知性の低いやつは自分の理論でしか解釈できないようだが、それは知性の問題なので仕方ない。

引用
私(わくわく氏)は(中略)「週刊金曜日」の記事を見るたびに、「もし、私に殺人のライセンスがあれば・・・」と、常に心の底から怒りがこみあげてきた論者

という記述は、悪意である。これが、編集権を脅かさないと断定することができるだろうか?w
見事に論破というか、論がないので、論破ではないのだが、終わったと思う。

他にもこの短い文章で単語の間違いが列記できるのだが?

反論・批判する内容の言葉の意味を理解してなかったことは、もっとも問題だろう。ミイラ取りがミイラとも言えるのだろうがw(少し気の毒)
「やりちゃん」とやら、まずは反論の論理構成力からつけよう。

文章を構成する能力以前に、単語の間違いがあるから救えないことを例示してみたのだが?
あんた相当知性低いんじゃないの?
読解力がないのは、教育水準の問題だと思うが、ダメ人間と普通の人間の棲み分けはしようよぜ。君みたいな低レベルに合わせる必要性はないし、その義務もないしねw
金くれるなら別だけどねw
一人でおれは正しい言ってればいいと思う。それはそれで自由ではあることだし

>※メッセージを下さった方へ
自作自演お疲れ様ですw
いや・・自作自演ではなく、演出でした・失礼しました

ちなみに、やりちんという人間がどこまで正しく理解できていたのか?という問題は管理人当人だけが知る部分だろうことは言うまでもないがw(苦笑)
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地球温暖化の流れに逆行して、財布の中身は常に氷河期到来している、「生活は庶民以下でも、志は貴族」(←鈴木邦男氏・談)と、言える日は来ないだろうなぁ・・・。

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