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イージス艦事件で思うこと

イージス艦「あたご」とマグロ漁船「清徳丸」の衝突事件は、確かに悲劇であるし、残念である。
私は、希望を捨てずに、最後まで行方不明者の無事を祈るとともに、国は被害者に対して全額賠償とアフターケアの充実を図る義務があるのはもちろん、大臣辞任の是非はともかく、綱紀粛正を厳格に図っていかねばならないのもまた、言うまでもないことだと主張するものである。


さて、またもや不正な言論がはびこっている。
今回の事故で「自衛隊は国民を守らない」とか「自衛隊はいらない」といった暴論である。
事故を起こしたことが、自衛隊の不必要性や存在悪の理由になるならば、自動車はとっくの昔に「全廃」されてしかるべきである。自衛隊の事故よりも自動車事故の方が遥かに多いのである。包丁も全廃すべきであろう。料理用に使う包丁も、立派な殺傷武器になる。
包丁やナイフでの刺殺事件も多発して止むことがない以上、全廃を主張せねばダブルスタンダードになる。

こういえば、「自動車や包丁は、人の役に立つ。しかし、軍隊は役に立たない。一緒にするな。」という不正な反抗が出てくる。
軍隊の存在意義は、「防衛」であるわけだが、実際に使用しなければ意義がないのではない。「存在すること」によって「敵対国が武力攻撃をしてきたときのリスクやデメリットが高い」という状態を確保することに意味がある。これを『抑止力』と言う。『核抑止力は時代遅れ』とのたまう愚か極まりない平和主義者なるのもいるが、それならば、核兵器はこの世に存在しない。北朝鮮が開発することもないし、第一、開発されたことが問題になることもない。従って6カ国協議も存在しないであろう。この小学生にでもわかりそうな単純な論理が理解できないのであれば、不特定多数が閲覧できる場で表現行為をする資格などない。

防衛省側は、イージス艦クルーが漁船を確認した時間や状況を訂正した。これについて「防衛省は嘘をついたのか」という批判がある。被害者の関係者ならば、その気持ちは察して余りある。批判も非難もできないし、またそんな気もさらさらない。
しかし、そうではない第三者である「平和主義者」が、鬼の首を取ったように同調してはならない。死刑廃止論者ならば、言語道断の感情である。こいつらには、猛省し、発言を撤回し、思い込みでの不当な発言について謝罪する義務と責任があるのだが、しないどころか、逆にこうした正当な発言をした私に対しての批判や非難をするであろう。まったく、愚かしいことである。

もちろん、防衛省が責任回避のために虚偽の発言をした可能性はある。これ自体をとやかく言うつもりはないが、しかし、事故が起これば現場は大混乱である。クルーの証言自身も、今の段階ではクルー自身が冷静ではない可能性もあるため、故意ではなくても誤った証言をする可能性もあるだろう。故意でなくても、今の段階では、情報が錯綜していることは十分予期することができる以上、「嘘をついた」とか「国民を守る気がない」といった批判や非難は、被害者関係者以外の第三者は慎むのが当然であり、これを否定するいかなるものも、この世には存在しない。
当然のことながら、事故の真相がある程度明らかになった時点で、防衛省が嘘をついたとか、クルーがごまかしたことが確定でなくても、可能性が高い根拠が出てくれば、こうした発言をしても構わない。

ただし、今回の件で、「自衛隊いらない」論は、微塵も正当化されることはない。
自衛隊がいるかいらないかは、軍事組織の存在の有無による武力攻撃を受ける可能性の有無で論じるべきことである。「事故を起こしたのが、たまたま自衛隊だった」というに過ぎないものであって、漁船同士の衝突、あるいはタンカーとの衝突事件と同一レベルで語るべきものであって、処理や対応についても、「軍隊・自衛隊だから」ではなく「処理や対応がきちんとされていない組織だから」というに止まる話である。もちろん、軍隊・自衛隊の性質と、処理や対応がきちんとできない組織であることとの間には、まったく因果関係はない。

この程度のことがわからないブロガーや弁護士、政治家は、即刻猛省し、感情を改めないといけない。

無知は罪

であり

言論の自由は嘘をつく自由ではない

のである。



イージス艦とは、イージスシステムを搭載した軍艦のことである。
主にアメリカ、日本、スペインが保有しており、近年、韓国も保有に至った。中国や欧州諸国も計画しているところであるが、実際に運用をしているのは3カ国だけと言ってよいであろう。

イージスシステムとは、『通常のレーダーよりも策敵範囲が広いレーダーの搭載』とセットで、『自動的に、複数の目標に対して同時にロックオンが可能』なシステムである。

ただし、あくまでも「対空」のためのシステムであって、水上及び潜水については、イージス艦も他の軍艦と性能は変わらない。場合によっては、対空機能に集中させたために、水上及び潜水に関しては、むしろ他の軍艦よりも脆弱な場合もある。

日本が保有しているイージス艦は現在5隻、建造中は1隻である。うち「こんごう」タイプの4隻は、最新式のシステムに換装する予定だが、現在のところは、1世代前のシステム(ベースライン5)であるが、「あたご」タイプは最新式のシステム(ベースライン7)である。

日本で使用しているイージスシステムは、製造時点においてアメリカの最新システムを使用しているため、システム自身は、アメリカのものと同じである。(古いシステムを押し付けられたわけではない。これは韓国も同様で、韓国のイージスシステムも「ベースライン7」である。)


ちなみに、世界最高性能のイージス艦は、日本でもアメリカでもなく、韓国のイージス艦である。ただしこれは、日米が2隻ワンセットで行うとことを韓国は1隻で行う、という思想からのものであり、言い換えれば、1隻にいろんなものを詰め込んだがゆえに、逆にシステムや装備の更新がしづらいという欠点がある、ということである。(日米の護衛艦は、2隻ワンセットでの運用であるため、システムや装備の更新の余裕が各々の艦にある、ということである。)よって、思った以上には、「艦隊」としての海軍力のUPはできていない。日本は海軍力はアジアでダントツトップであり、世界的に見ても5本指に入る屈指の海軍国である。もし、戦略型の正規空母を1隻でも保有すれば、一瞬のうちに世界第2位になる。(といっても、日本は海域が世界第6位なので、これでもまだ「十分な兵力」ではない。)
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自衛隊不要論は論理の飛躍

wakuwakuさん、こんにちは。

私はご存知の通り9条を指示する人間です。日本の自衛隊だけでなくいかなる国の軍隊も不要になってほしいと考え、それゆえの9条支持ですが、人類社会がいまだ軍事力廃棄への方法論を確立できていない以上、最小限の軍事力保有もやむなしと考えています。その立場からしても、今回の事故が即自衛隊不要論に繋がるのはどうかと思っています。

ただ、「自衛隊は国民を守らない」という批判については同意しています。“守るつもりがなかった”とまで批判するのは行き過ぎでしょうが、今回の事故において守れなかったのは紛れもない事実だからです。

軍隊というものは、そもそも国民を守るためのものではない。そういう主張があり、私もその主張に一理あると感じるものです。だが、現場レベルの自衛官たちが“我々は国民を守るために勤務に就いているのではない”と考えているとは思えない(もし現場レベルでそのように考えるのが一般的というのであれば、そんな自衛隊は不要です)。ですがまた、“国民を守るために頑張っているのだ”と考えいさえすればよい、とも思いません。重要なのは結果なのです。

軍隊がやむを得ず必要なのは、必要とされる現実があるからです。必要とされる思想があるからではありません(少なくとも私はそう考えます)。現実の要請ゆえ必要とされている軍隊が、その引き起こした結果を責任を精神論でごまかすようなことがあってはならないでしょう。それを許せば組織の堕落に繋がってゆきます。暴力装置が堕落することほど恐ろしいことはありません。

それゆえ私は、自衛隊が「国民を守らなかった」という事実については、いくら批判をしても批判しすぎることはないとはないと考えます。自衛官たちがそうした批判に耐えられないというのならば、辞めてもらって大いに結構。そうした批判に耐え抜き任務を遂行する者たちには賛辞を惜しむつもりはありませんが、どこかの国の「愛国無罪」のような考えを持たれたのでは、国民はたまったものではありません。

今回の事故に絡んで報道される「事実」は、それが真実だとすれば、現実の要請から必要とされる組織には相応しくない事実があまりにも多い。これは自衛隊だけでなく、自衛隊を統括すべき政府にも言えることです。

9条を護る方が自衛隊擁護とは…。

初めまして。
ここにコメントした方のコメントを見てコメントをしています(?!)。
驚きました!!!
自衛隊を擁護する九条護憲派が居るとは、初めてです~♪
九条と自衛隊の存在は、相反します。
その矛盾がありながら、自衛隊肯定なぞ、
理論に矛盾と崩壊を包括しておりますねw

ちと横レスですが、

>自衛隊を擁護する九条護憲派が居るとは、初めてです~♪
九条と自衛隊の存在は、相反します。その矛盾がありながら、自衛隊肯定なぞ、
理論に矛盾と崩壊を包括しておりますねw
おやおや、nomoemonさんとやら、ソコガ浅い議論ですね。
東欧のマルキストは、マルクシズムノ限界を知った上で、マルクシズムだったそうです。
藤田省三氏によるとね。多くの現存のクリスチャンもイスラム教徒も仏教徒も
現実の政治や生活で、様々な理想と現実の葛藤の中で、やはりそうでしょう。
日本国憲法に対して愚樵さんがそうだからといって、別に珍しくもなんともない。
杓子定規な考え方でいると、始皇帝の死後(おのれが制定させておきながら)
『法家のがんじがらめの規定』で亡命し損なった秦の宰相のように、
身動きできなくなりますぞよ。まあそれぐらいしないと、この変革期は秩序が保てないと、
『身切って』らっしゃるのなら、『どうぞご随意』と言い添えておきますけど。

特段は9条擁護論に「自衛隊容認派」がいても不思議ではありません。
それが珍しいというのは、よほど世間が狭いだけの人でしょう。
代表例などは枚挙の暇がありませんが、典型的ともいえるのが9条の会の面々でしょう、各人は9条死守という要諦の一致だけであって、自衛隊を違憲と断定しているわけでもないですし、自衛隊の存在を限定的に解釈している9条擁護論も数々存在しています。
まぁ、夢見がちな「国際救助隊」構想や「国連待機軍」構想みたいなものだってあります。
まぁ、現実的にいえば、胃の中の蛙が自分の9条解釈だけを正当化しているから、理解できないのでしょうが・・・・・憲法を独善的に解釈するのはいいんでしょうが、それが当然だと思うにも現実との乖離とか様々、整合性をつけないと解釈ではなく、思い込みになることは想定されることでしょう。(まぁ、簡単にいえば、無知は無知を自覚できないからこと、無知なのですが)

さて、問題について精査しよう。
・「自衛隊が国民を守らない」ケースは当然ある。言うまでもないが、一人の国民のために多くの国民が危機に直面するようなケースでは、政治的な問題として、守らないケースがあるのは当然である。これは自衛隊が守らないのではなく、政治が守れないだけでしかない。
・「自衛隊がいらない」ケースは当然ある。しかし、災害有事で自衛隊のような人海戦術の救済活動、離島遠隔地などの医療援助活動など現状で自衛隊以外の誰ができるのだろうか?(現状の問題である。今から作るとして、今災害があったケースではどう対応できるのだろうか?)
 「いらない」という理解は否定しない。しかし、必要とする人々の権利を侵害できるのだろうか?離島への医療援助は毎日のように出動(厳密には一年で400回近く)し、雪害、局地地震、伝染病防壁活動、洪水対策など包括的な非軍事行動的な国防機能を有している。
現状それに代替する機能はない。それに代替する機能があっても、それに参加している人など少数だろう。
 
 冥王星は、離島に住まう人間でもないし、被災経験もない。しかし、そのような環境下においての自衛隊の機能性を考えれば「いらない」とまで言いえるものではない。
 同時に、国防機能として自衛隊を補完するものを提示できない現状で、どうしたらいいのか?という説明なしには、「自衛隊はいらない」という分析は首肯しかねる。

 冥王星は、軍隊がない国家というものを歴史上にあったことを知っている。その国家がどうなったか・・も知っているからこそ、「自衛隊はいらない」とは到底言えない。

 はたして「軍隊がない国家」がどうなったのか?という歴史を知っているのだろうか。知らないなら知らないでいい。ふと考えてみる必要があるのではないだろうか?
 
 同時に、いつも問いかけてみるのだが、警察と軍隊の差異はなんだろうか?
 
 冥王星は、”9条解釈で自衛隊を違憲としている人”がどうして警察の存在が合憲であるのか?という問いかけをしたことがある。明確な論理的な回答を一度でも貰えたことがないのである。不思議でならない。
 
 思うことを正当化することを否定しない。しかしそれと同じ次元の行動を相互に行っていたら、議論も討論も進捗しないのである。
 妄信というものの危険性は宗教と同義であるのだが、宗教は、それこそ妄信している方が良く見えるものであるからこそ怖いものである。
 思想は疑えなくなった時点ですでに宗教なのだろうが・・・・・


 

いやいや・・・・
これは単純に、今回の事故で自衛隊によって国民の命が失われたってことのみをもってそう言ってるわけじゃないと思うんですよ。
ことは軍隊とは何か、国家とは何かという命題と関わることだと思うのです。


確かに他国の不当な侵略からどう日本国民を守るか、という観点から言えば、いわゆる抑止力が機能するということもあると思います。
しかしそれは軍事力、軍隊の一側面にすぎないのではありませんか。

萱野稔人は 「国家とは、ある一定の領域の内部で(中略)正当な物理的暴力行使の独占を(実効的に)要求する人間共同体である」と定義しましたが、これは国家の実体的部分の端的な観察によるものであって、それの「物理的暴力行使」をもっともわかりやすく徴表しているのが軍隊です。
そして、既存の国家権力は、その権力構造を解体再構築しようとする力に対して、その物理的暴力機関を最終的な担保にするものであることは、歴史の示すところです。
言うまでもなく、権力構造の改変は民主共和制の国家においては国民の権利ですし、軍隊はこの権利に立ちはだかる壁とならないよう警戒することに十分意味はあると思うのですよ。


またこの点とは別に、事実として、自衛隊は米軍とワン・パッケージでの訓練をしていますね。
ひるがえって、日本に駐留する米軍はアメリカの法律によって明白に「突撃部隊」であることが規定されており(ジェイムズ・T・コンウェイ米海兵隊総司令官、2007年3月2日)、昨今の米国のユニラテラリズム方針を見るまでもなく、米国が海兵隊を「抑止力」としてのみならず他国への軍事的介入に使ってきたことは枚挙に暇がありません。
このことからも、自衛隊が国民の護衛ではなく、強襲揚陸艦の「護衛」のために活動しているのではないか、あるいは将来するのではないかとの懸念は理解できるのではありませんか。


以上のような観点から言えば、たまたま事故を起こしたのが自衛隊だったのだという評価をすべきではなく、国民の命を軽視した行動はなかったのかどうか厳しくチェックするという見方をすべき問題だと思うのですがいかが。

ミケネコさんへ

コメント、ありがとうございます。

>言うまでもなく、権力構造の改変は民主共和制の国家においては国民の権利ですし、軍隊はこの権利に立ちはだかる壁とならないよう警戒することに十分意味はあると思うのですよ。

私は何も、警戒を緩めろとか、この事件を問題視するな、と言っているわけではありません。「この事件をもって、自衛隊の廃止の根拠とするな」と言っているに過ぎません。
もちろん、警戒は高いレベルで行うべきことですし、自衛隊のモラルを維持するためにも、常に自衛隊への注意喚起を発信することは重要だと思います。

>またこの点とは別に、事実として、自衛隊は米軍とワン・パッケージでの訓練をしていますね。
>ひるがえって、日本に駐留する米軍はアメリカの法律によって明白に「突撃部隊」であることが規定されており(ジェイムズ・T・コンウェイ米海兵隊総司令官、2007年3月2日)、昨今の米国のユニラテラリズム方針を見るまでもなく、米国が海兵隊を「抑止力」としてのみならず他国への軍事的介入に使ってきたことは枚挙に暇がありません。


日米安保条約・日米安保体制が、単なる二国間の安全保障・軍事同盟だと誤解している人が多いですが、それは違います。日米安保は、東アジア全体のミリタリーバランスを確保に不可欠な存在であることは否定できません。
そして、それは「日米が共同して行う」ということで機能しているものでありますが、安全保障の概念は、「防衛力」といった受身の消極的なものだけで機能するものではなく、「攻撃力」という能動的な積極的な実力部隊によって「攻撃ができる」という状態が存在して、はじめて機能するのです。
もちろん、アメリカが軍事介入した例は多々ありますが、別な言い方をすれば『軍事介入ができないならば、安全保障が十分確保できるわけではない』というのも事実で、これは難しい問題を持っているわけです。


>このことからも、自衛隊が国民の護衛ではなく、強襲揚陸艦の「護衛」のために活動しているのではないか、あるいは将来するのではないかとの懸念は理解できるのではありませんか。

自衛隊が米軍の強襲揚陸艦の「護衛」に出ることは、将来的にもほぼないと考えるべきです。

OEF-MIOで自衛隊が行っている任務は2つ。1つは給油ですが、これは「おまけ」みたいなものです。もう1つがメインですが、これは「イージス艦による情報収集」です。イージス艦の高度な対空レーダーを使っていますが、攻撃よりも防衛に、しかも、「状況を監視する」だけの任務ですから、2~3隻派遣すればこの2つのミッションはできます。

イラクは、あくまでも民生分野の支援です。派遣したのが自衛隊だという話であって、そもそも民間でもできる内容ですが、サマーワは比較的安定しているとはいっても、警察組織が十分に機能していないのみならず、武装勢力は軍事兵器を持つレベルですから、国の命令で派遣するには、自衛隊ぐらいの装備がないと「人員の安全を保証できない」というものです。従って、これもそれほどの装備も数も必要はありません。

ミケネコさんが想定している「護衛」については、海兵隊も船1隻だけで動くわけではなく、海軍や空軍との連携の下、艦隊規模での大々的な行動となりますから、特に日本に支援を要請する必要もありません。
百歩譲って日本が参加すると仮定すれば、OEF-MIOやイラクへの派遣の規模を遥かに超える規模の出動となります。さすがにこれは、予算的にも人員的にも無理です。

ミケネコさんも含めて、かなり警戒する方もいます。心情的には理解しますが、ミケネコさんたちが想定する事態が「実現」するには、とてつもなく大きな壁を何枚も乗り越えないと「できない」んです。
日本がかつて満州事変をきっかけに中国に侵攻「することができた」のは、それができる条件が、日本国内と中国側にすべて整っていたからなんです。どんなに軍国主義であっても、中国側が分裂状態でなければ満州事変は起こせないですし、中国側が分裂状態でも、日本側が欧米列強に伍する軍事力を保持していなければ、やはりできなかった。
それだけ戦争ってのは難しいんです。

意見を書いたので投稿しときます。ご検討のほどを。



「軍事介入ができないならば、安全保障が十分確保できるわけではない」という点、これは一般論としては確かにそのとおりだと思います。
しかし、少なくともアメリカに当てはまるかは疑問です。例えば、古くはチリ、グァテマラ、グレナダ、ベトナムなど、ほとんどがアメリカ国土防衛とは無関係な介入です(http://www.jca.apc.org/stopUSwar/Databank/interventions.htm)。
チリのアジェンデ政権などは、選挙によって民主的に選出された大統領とその民間人である支持者を軍事介入によって大量に殺害していますよね。
これらは「アメリカをattackすれば、能動的な反撃を呼ぶことを実証する」という意味合い以上の内容を持っているのではないでしょうか。

「強襲揚陸艦」と書いたのはまあ比喩です。要はそうした米海兵隊と一体のものとして運用されつつある、という点で。
例えば、2004年リムパックと同時に行われた「サマーパルス04」では、海自護衛艦を含めた艦隊の即応能力に重点を置き、日米の情報の共有にとどまらず指揮・統制を一元化することが主眼になりました。
実際に行われた演習の内容は、まさに米機動部隊を構成する艦船として護衛艦を運用するための訓練です。
9条に基づく法的なくびきがありますので実戦での運用はまだできませんが、「日本のイージスや護衛艦が米空母+強襲揚陸艦を護衛する」という既成事実はできてしまっています。
そしてこれは、ご指摘のとおり、陸自・空自についても大規模な連携が前提とされています。同年1月にサンディエゴで行われた陸自との大規模な合同訓練では、「揚陸作戦の基礎」「イラクを想定した模擬市街戦」「空対地爆撃訓練」が行われましたし、空自との合同演習「コープサンダー」では大規模なデータリンク訓練が行われました。
米海兵隊の殴りこみ部隊としての性質もさることながら、具体的なこれらの訓練内容と、前述のアメリカの軍事介入のリアルな実際を見ておく必要性があると考えています。

また護衛艦が米海兵隊とともに行動する懸念が杞憂でないことを示す事実はほかにもあります。
ご指摘のイラク戦争民生支援に関してですが、これに関するPKO法→ガイドライン法→有事法制立法→イラク特措法→新テロ特措法をめぐる国会での議論の流れです。
条文、ないし国会審議での政府答弁をつぶさに観察すれば、たまねぎの薄皮を一枚づつはぐように、
→日本近海への外派兵を可能にする
→日本近海以外の海外派兵も可能にする
→その場での兵站行動を可能にする
→兵站行動中に攻撃されたら反撃できるようにする
→攻撃が「予想」される場合に先制攻撃できるようにする
と、行動の自由を拡大しようとする方向性が見えてきます。
これは、アメリカからの非常に具体的な要請にこたえたものであり、その内容は日本から遠く離れた海外においても米海兵隊と行動を共にすることを可能にしようとするものになっています。



ただ、おっしゃるように、確かに現代においては戦争はそう容易に起こるものではありませんね。19世紀にくらべ21世紀の戦争が簡単には引き起こされにくくなっているのは、それを許さない国際世論があるのも大きな理由の一つだと思います。
また、巨額の相互投資関係が成立している現代では、大規模な海兵隊の運用は、相手次第では日米の経済的利益を損いかねないというデメリットが存在します。
しかし、米ソ対決の時代が終わって戦争が比較的起きにくい時代だからこそ、アメリカをはじめとする軍事産業の意向がアメリカの世界戦略に大きな影響を及ぼしていると見ています。
NATOと日米安保の再定義や、「テロとの戦争」は、軍事力の必要性を確証するためのマッチポンプ的世界戦略とも考えられます。
相互確証破壊による抑止力維持と軍拡懸念を強調して結ばれたABM条約が、なぜかアッサリと廃止され、実効性の薄い弾道ミサイル防衛が推進される背景にもこの意図が見え隠れします。
すなわち、権益の防衛と同等、あるいはそれ以上に、「軍備が不要になる」ことへの懸念はアメリカにとって重大であり、自衛隊はこれに基づいた世界戦略に組み込まれているのではないかという見方です。
そして、アメリカのユニラテラリズム、あるいは先制攻撃戦略は、この見方と実によくマッチしませんか。
適度に軍事力の必要性を強調しつつ、その負担をNATOや日本に少しづつ肩代わりさせることで財政負担削減と軍事産業の収益を両立させる。
これが冷戦崩壊後のアメリカの中期的世界戦略のキモだと考えます。
この流れに自衛隊が組み込まれ、アメリカの意のみによって自動的に行動せざるを得ないかたちにハメこまれていっているわけですが、日本にとってこの一番の現実的なデメリットは、アメリカが引き起こす比較的小規模な紛争への介入にいやおうなく参加させられることにあると見ています。


以上のような観点から総合して考えるに、イラクへの派兵も単なる民生支援および兵站のみとして単体としてとらえるよりも、むしろ次へのステップの一つとしてとらえる必要性があるのではないでしょうか。
またこのアメリカおよび日本の政府がこのステップを推し進める上で最大の桎梏となっているものが、前投稿で述べたような日本国民の警戒感と、そして何よりも9条にあると考えます。
「自衛隊はいらない」というのは確かに暴論と見るべきかもしれませんが、少なくとも「イージスなどはできる限りリストラし、パトリオットと海保の予算増額を」は正当な主張といえるかもしれません。

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ミケネコさんへ

>「軍事介入ができないならば、安全保障が十分確保できるわけではない」という点、これは一般論としては確かにそのとおりだと思います。
>しかし、少なくともアメリカに当てはまるかは疑問です。

仰ることは私も同感です。「軍事介入ができないならば、安全保障が十分確保できない」のですが、これは、ベトナムやパナマの事例のように「諸刃の剣」でもあります。
これが悩みどころであって、このための国連改革は急務と言ってもいいでしょう。外務省に「水面下で反米の駆け引き」を求めたいところでもありますが、まずは日本は「実績づくり」が必要だと思います。
不謹慎を承知でいえば、イラン問題があります。アメリカは大使館爆破事件以降、イランとは国交がありませんし、イラン国内の反米感情はものすごい。しかし、イランは日本とは友好国であるばかりでなく、国民感情は親日なんです。言葉は悪いですが、「立場を利用して」、フランスやロシアを巻き込んで仲介役を買って出ることも可能だと私は考えています。
こうして、「日本が仲介役となる」にあわせて「アメリカを向こう側に回して」、かつ、「アメリカ以外の国との連携で紛争を解決した」という『実績』を積み重ねていくことが大切だと思います。

>アメリカのユニラテラリズム、あるいは先制攻撃戦略は、この見方と実によくマッチしませんか。
>適度に軍事力の必要性を強調しつつ、その負担をNATOや日本に少しづつ肩代わりさせることで財政負担削減と軍事産業の収益を両立させる。
>これが冷戦崩壊後のアメリカの中期的世界戦略のキモだと考えます。
>この流れに自衛隊が組み込まれ、アメリカの意のみによって自動的に行動せざるを得ないかたちにハメこまれていっているわけですが、日本にとってこの一番の現実的なデメリットは、アメリカが引き起こす比較的小規模な紛争への介入にいやおうなく参加させられることにあると見ています。

う~~~ん・・・。お説は理解するところですし、それを否定するつもりは毛頭ありませんが、ただ、そのアメリカの論理はイラクでもアフガンでも「失敗」しましたからね・・・。このために、ネオコンであるラムちゃんが更迭され、ブッシュもレイムダックになっていることを考えれば、現在の方向性としては否定しえない現状ですが、では、一気に突っ走っていくのか、といえば、ちょっと疑わしいかな、という気持ちもあります。

お説の可能性が「ない」とは断言するだけの保証など、どこにもありませんから、十分注意して監視し、そういう動きに巻き込まれないように掣肘することは必要だとは、私も当然思います。

ただし、ミケネコさんのご指摘は、アメリカにとっても影響力を喪失しかねない「賭け」でもあることを想起しなければならないと思います。NATOや日本に肩代わりさせるというのは、軍事参加をNATOも日本もするということですから、NATOや日本に「実績」ができてしまうと同時に、世界にアメリカの軍事面での弱体化のイメージを与えることになるからです。

アメリカは、経済も金融も超大国ですが、軍事大国であることで、世界にそのプレゼンスを示していることをみれば、この方面での弱体化=NATOや日本の発言力が強まることを望むかどうか、ということでもあります。

従って、現状においては、「可能性が十分考えられる」というレベルでの「監視と注意、掣肘」で行うべきだと考えます。

最も怖いのは「いや、そこまでは、本当に考えていない」とき、政権側に反撃の糸口を与えてしまうことなんです。こうなると、「必要とされていることをやらない気でいる。こんなんで信用される日本になるのか!」と攻撃されてしまうわけで、ミケネコさんのお考えと逆の方向に、国民的支持が集まってしまうことになります。懸念は理解しますが、先走るのはミケネコさんにとって不利だ、と私は考えます。

>またこのアメリカおよび日本の政府がこのステップを推し進める上で最大の桎梏となっているものが、前投稿で述べたような日本国民の警戒感と、そして何よりも9条にあると考えます。

私は改憲であって、9条もその視野に入っています。
ただし、私の改憲は、自衛隊の海外派遣について「派遣目的を箇条書きにして限定し、それ以外の派遣は禁止」とし、「国連もしくは派遣先の国の要請を必要」とし、「派遣ごとに個別具体的な法律(業務内容、期間を設定)」し、「国会の承認のない派遣延長は禁止」とし、「国会の要請があれば、期間満了前の撤退」を設定しつつ、「国民投票による撤退または、派遣禁止」の担保をつける、というものです。
現在の『解釈に頼る法的根拠』よりは、こちらの方が具体的に制御することが可能かな、というものです。

ただし、絶対に改憲しろ、というのではなく、あくまでも「結論」として、であって、当然、『護憲に変更』の可能性もあるどころか、現行憲法維持の視野も入っています。

>「自衛隊はいらない」というのは確かに暴論と見るべきかもしれませんが、少なくとも「イージスなどはできる限りリストラし、パトリオットと海保の予算増額を」は正当な主張といえるかもしれません。

いや、そうではなくて・・・。(号泣)
今回のイージス艦の事故を理由とした「自衛隊いらない論」が暴論というだけです。
『自衛隊いらない論』そのものも、自衛隊の存在意義の消滅や自衛隊に代わりうる安全保障があれば、正当な主張になると思います。未来永劫自衛隊が必要、というのは、言い換えれば、未来永劫武力攻撃の怖れがある、ということで、決していいことではないですから・・・。

コメントが大変興味深いものですから、ついついひっぱってしまいました。
お相手していただき、ありがとうございます。


>不謹慎を承知でいえば、イラン問題があります。アメリカは大使館爆破事件以降、イランとは国交がありませんし、イラン国内の反米感情はものすごい。しかし、イランは日本とは友好国であるばかりでなく、国民感情は親日なんです。言葉は悪いですが、「立場を利用して」、フランスやロシアを巻き込んで仲介役を買って出ることも可能だと私は考えています。
こうして、「日本が仲介役となる」にあわせて「アメリカを向こう側に回して」、かつ、「アメリカ以外の国との連携で紛争を解決した」という『実績』を積み重ねていくことが大切だと思います。

これは実に興味深い。イランですか。なるほど。実に参考になります。
実情からいって、わたしたちがこうした動きを実現できる可能性自体は低いですが、これは本当に貴重なご意見をいただきました。ありがとうございます。


>う~~~ん・・・。

確かに、なにやらオバマな流れになってきているようですし、もし彼が目指す地位についた場合、よく口にする抽象的な「チェンジ」をエスタブリッシュメントに抗って具体化できるのか、興味深いところです。


暴論云々に関しては、自称「左派」ブログのウェットな主張はわたしも疑問符をつけたくなります。
が、そこは、リアリズムとわたしたちなりの一貫性を堅持しつつ、「論」としてではなく「思い」として受け止めようと考えています。

いずれにせよ参考になる点が多々ありました。大概はRomかも知れませんが、ちょくちょく拝見させていただきます。ありがとうございました。
プロフィール

わくわく44

Author:わくわく44
地球温暖化の流れに逆行して、財布の中身は常に氷河期到来している、「生活は庶民以下でも、志は貴族」(←鈴木邦男氏・談)と、言える日は来ないだろうなぁ・・・。

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