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とっても素晴らしいコメント発見しました。

 私がちょくちょくお邪魔している「お玉おばさんでもわかる 政治のお話」というブログがあります。
 お玉さんご自身は、基本的には「左」なんでしょうが、結構フランクなので、素朴に思ったことを書いていらっしゃるようです。反論や反対側を「攻撃」する姿勢がないというのは、かなりおおらかなんでしょうか。過去のコメントを精読したわけではないので、元からフランクなのかは、わかりませんが、少なくとも、私自身は肩に力を入れないで読めるコメントが多いので、いいなぁ、って思っています。


 そのフランクなブログで、さる天才プロがーが、とても他人に真似できない、前代未聞のすばらしいコメントをしてくれました。私だけが知っているのももったいないので、みなさまに紹介いたします。






 人類に殺し合い、死なしあいの本能、遺伝子が存在しないというのは事実です。ということは、人類は共に生きていく本能、遺伝子があるという事実関係しか結論はありえないです。選択肢に殺しあう、死なしあう、共に生きていくヒト遺伝子の3つしかないわけですから。


 私が知っている自然科学によれば、そもそも「遺伝子」は、「物質」です。『科学的』に言えば、この4パターンの組み合わせのうちのいずれかが「事実」になると思います。
 

 「殺し合い、死なしあいの遺伝子がある」+「共に生きていく遺伝子がある」
 「殺し合い、死なしあいの遺伝子がある」+「共に生きていく遺伝子がない」
 「殺し合い、死なしあいの遺伝子がない」+「共に生きていく遺伝子がある」
 「殺し合い、死なしあいの遺伝子がない」+「共に生きていく遺伝子がない」


 しかし、この天才ブロガーによれば、「どちらか一方は必ずある」(言い換えれば、「どちらか一方は絶対にない」)ということらしいのです。しかも、ご自分ではその遺伝子の存在を確認しているわけではないのですが、「物質の存在」ですら、確認せずとも「ある・ない」が断言できるそうです。さすがは天才、魂のステージが低い私ごときには、とても考えもつきません。



 


 人類は殺し合い、死なしあう存在ではなく、共に生きていく自然的な存在であるのに、社会に戦争、人殺しが存在する原因はどこにあるのか?これを規定するのが科学です。戦争の原因は人類、人間の本能、遺伝子、宿命にあるのではなく、軍事力の存在にあるということです。軍事力が原因して戦争という結果が実現します。これが科学です。


 なるほど、軍事力がなければ「戦争」はないんですね。
 軍事力とは、この天才ブロガーによれば「軍事力を規定している制度、軍人、兵器」なんだそうです。ということは、「制度がない」「軍人がいない」「兵器がない」ならば、戦争がない、ということなんですね。
 全身凶器の格闘家・プロレスラーが1万人を日本政府が発注して外国を攻撃する、という可能性はゼロなんだそうです。






 人類が殺し合い、死なしあう存在ではなく、共に生きていく存在であるという科学的な事実に立脚して、憲法前文及び憲法9条は「諸国民の公正と信義に信頼して」軍事力の放棄を規定しているんです。人類は平和的に生存していく存在であるから人類の力で軍事力をなくして戦争を消滅させることを日本国憲法は規定しているんです。まさに、政府の軍事力が原因して起こす戦争を国家以前に存在する人類の力、人権で抑止、除去していくことを人民が不断の努力で定めたのです。


 憲法前文と第9条は、「人類が殺し合い、死なしあう存在ではなく、共に生きていく存在であるという科学的な事実に立脚」して定めたそうです。しかも、人民が不断の努力で定めたそうなんですね。私は、その事実を確認しようとしたのですが、魂のステージが低い私には、日本国憲法制定に関する資料を漁ってみても、発見できませんでした。歴史資料も漁ったのですが、やはり出てきません。
 きっと、魂のステージが低いと、歴史書も憲法制定過程の文書も、その姿を見せてくれないんでしょう。魂のステージが高い天才ブロガーだからこそ、これを「事実」だと断言できるわけです。いや、恐れ入りました。






 ヒト遺伝子ですから共に生きていく遺伝子があるんですよ。それとも、共に殺し合い、死なし合うヒト遺伝子があるんですか?あるならそれこそ出して欲しいです。物質ですからね。ちなみに、人の本能には殺し合い、死なしあいの本能はないですし。食欲、性欲、睡眠欲を実現しながら共に生きていくのが人類ですし。医学の常識でいうまでもないと思いますがね。この事実を根拠なく懐疑するから「思う、思わない」の議論になるんじゃないでしょうか?戦争は違法と思わなくても戦争は違法だということです。


 さすがは不世出の天才ブロガー、魂のステージが低い私なんぞとは、言うことが違います。
 医学の常識を超えて本能を説明できるほど、人類のことをよく熟知しておられる。


「疑うな、私のいうことを信じろ」


 魂のステージの高い方に対しては「依らしむべし、疑うべからず」というのが『科学』なんだそうです。
 いやぁ、とても勉強になりました。






追加です。

魂のステージが低い私)

  「第一、いつから「法は人類が殺し合い、死なしあう存在ではないという事実に立脚した」のか、いくら調べても出てこないので、よくわかりません。」


魂のステージが高い天才ブロガー)

 人類が地球上に誕生したときからです。これが人権法の基本ですので。国家の前に人類普遍の原理が存在し、それは事実に基づくというのが科学ですので。



 地球上に人類が誕生したときから「法」があったんですか。いやはや、天賦人権思想が出てくる1万年以上前から「法」も「人権」もあったとは!!さすが魂のステージが高い天才ブロガーです。ブログだけで展開するのは、非常にもったいないですよ。武器のない世界をつくる絶好のチャンスですから、今度、学会とか新聞紙上に発表してください。


 殺し合い、死なし合いの本能、ヒト遺伝子は存在しません。人は一人では生きることはできません。以上から出る結論は1つです。人類、人間は食欲、性欲、睡眠欲を共に実現しながら、共に生きる人類的な存在である、という事実です。

  「共に生きる人類的な存在」という日本語が理解できませんが、それはさておき、「共に生きる」というのが、『遺伝子』から生じたんですか!!遺伝子情報はいまだに大部分が解明されていないと聞きましたが、さすがは魂のステージが高い天才ブロガーさんです。
物質であるはずの遺伝子ですら、細胞や染色体から調査して、その存在の有無を発見して確認などしなくても、「共に生きる遺伝子・本能」は「人間の体内や細胞、染色体の中に存在する」と断言できるんですね。この天才ブロガーさんの前には、ノーベル賞でさえも権威がないのでしょう。いやぁ、恐れ入りました。


まさに神様です!!


これだけの優秀な才能をお持ちなんですから、おそらくスプーン曲げだってできるんでしょうね・・・。
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本能と合目的行動

知己のブログで問答になってるようなので、暇みて記事作成しておきます。 最近、更新を怠ってきたのは、単純に受験で忙しかっただけです。 ...

お玉はお玉のやり方で・・・

いままでも、選挙でやな奴が当選すると「B層が悪い」という論調になってしまうけど・・・ お玉はね、B層のせいとか言うのは違うと思うのね。...

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元からフランクなわけではありません。
いろんな右派の方とお話ししているうちに身に付いてきただけです。

お行儀良くできるのであればいいですが、
お玉基準に従えないのは困ります。
ご自分がコメントしに行った場所の管理人の言うことには
きちんと従いましょうね。

##かってに仕切ったり、削除基準作ったりしないこと。
長文で持論展開はしないこと。
記事に即していないと言われたら、反論があろうともいったんは下がること。
自分のブログに書いてTB下さるのは大歓迎です。

お玉おばさんへ

これについては、エントリーで反論したいと思います。

ひとこと、申しておきますが、ブログは、持論を不特定多数が閲覧できる状態にすることです。そこには公益性が生じます。管理人といえども、公益性を侵害する行為は容認できません。従って、公益性を保護するための投稿を管理人が拒否する権利はありませんし、「管理人の言うことを聞いてはならない」のです。

このことをわかっていない人が多いことが、今般、インターネットの規制に関する権力側の口実になっていると認識してください。
それが認識できないならば、日本国憲法を改正し、表現の自由を削除しなければなりません。

じゃああなたはなんで削除とかTB受付拒否とかするの?

結構この辺りのことは右派系のブログさんはどこも寛容で、コメント削除は何があってもしてはならないだから自分の所もやらない・・という人から見れば「ダブスタ」って言われちゃいませんか?
本来ならば、いいコンビ組めそうな東●南北さんと二人でブログやって大激論したら、きっと大受けするとお玉は思うんだけどなあ・・・・

詐欺師呼ばわりされた男より

東西さんは、人間を崇高な存在だと見すぎているのでしょうね。
こういう方は、信用していた人や親しい人から手酷い裏切りを受けた時に、極端な解決方に走りがちなので、ちょっと心配です。

私は「非人間」だそうです。(笑)

>こういう方は、信用していた人や親しい人から手酷い裏切りを受けた時に、極端な解決方に走りがちなので、ちょっと心配です。

これが、私を排除に精力的なのは、「冥王星は小惑星なり」のブログで論破してしまったからです。はっきり言えば、正確な知識があれば容易に覆る稚拙な論で、かつ、責任を取らないんですからね。
もっとも、私に逆らってきたブロガーは全員そうです。知識がないのが罪ではありません。罪なのは、知識がないのにあるフリをすること、そして、知識の限界を露呈して逆ギレ(「魂のステージ」とか、わけわかんないことを言う等)をすることです。
もっとも、弁護士でもアフォはいますけどね。専門分野でもないことで論破されたら「あなたと議論する価値はない」とまでのたまう弁護士なんて、はっきり言って弁護士資格永久停止にすべきですよ。(津久井先生や村上先生じゃないですよ。この方たちは、専門外のことについては、自制していらっしゃいますから、私と意見は正反対ですが、人間として、法曹家として尊敬しております。)

>。(津久井先生や村上先生じゃないですよ。この方たちは、専門外のことについては、自制していらっしゃいますから、私と意見は正反対ですが、人間として、法曹家として尊敬しております。)

結局あなたは居心地のいい人間しか認めることができないのではないですか?それ以外の人は「あなたに逆らうブロガー」として削除するのかなあ・・・

お玉さんへ

反論はウエルカムですが、誹謗中傷は論外です。

現在のところ、東○南北氏、薩○長州氏、imacoco氏の3名については、コメント禁止です。この3名は、ご自身のブログをはじめ、私がコメントしたブログで誹謗中傷を行っております。このような者の発言を許可することはありえません。

今までの発言について謝罪し、訂正した上で、二度と挑発コメントを行わないのであれば、しばらく様子を見て、私が評価した時点からコメントを許可する可能性はあります。

ふ~~ん・・他にもいるように思うけど・・

でもさあ、私なんか誹謗中傷されっぱなしだけどねえ・・
あなたどころじゃないよ。

で、あなたの決めたルールであなたは削除コメント拒否してるんだよね。
それならよそだってそこの場所のルールに従わなければ削除するよね。

持論展開、記事違いだと管理人が注意しても、あなたが「そうは認められない」からやめないと言うのは、あなたが「誹謗中傷された」と言っても「そうではない」と認めない人たちと同じだよ。

これは「持論」ではなく、「ブログで反論を容認する上での必然的なこと」です。
従って、以下の反論については、私もそれを否定することができません。


>持論展開、記事違いだと管理人が注意しても、あなたが「そうは認められない」からやめないと言うのは、あなたが「誹謗中傷された」と言っても「そうではない」と認めない人たちと同じだよ。

残念ながら、まったく違います。
反対・反論は、それに責任を持とうと思えば、「理由を述べる」わけですから、お玉さんが感じるような「持論展開」になるのは致し方ない。特に「評価」については、根拠とロジックを展開しないと「ただ反対を表明する」にとどまります。それがいけない、というのは、「翼賛しろ」と言っているのと同じです。


「記事違い」は、関連性の有無で述べることです。ある発言の一部の訂正から「記事違い」に発展する可能性も当然あります。ただし、それは交通整理さえしっかりしておけば、問題はありません。

「反論」と「誹謗中傷」は、明確に異なります。

論を展開する上での「理由」「根拠」等が、「客観性を持って説明できる事実の提示」があるものでなければなりません。明確な事実があれば、誰が説明しても同じですから問題はありません。問題になるのは「明確な事実がないもの」です。この場合は、類推という作業が入りますが、これは専門知識がある人しかできません。従って、専門知識がない人は、類推をもとに反論を展開してはいけないのです。

つまり、「明確な事実がないもの」をさも事実があるかのように偽ったり、あるいは専門知識がないにも関わらず、自分勝手な類推(しかも、国際法等の基礎を完全に無視した上での類推)を行ってはならないのです。その点、東○南北氏や薩○長州氏は、それがまったくできていないため、ブログが炎上しやすくなります。

>「記事違い」は、関連性の有無で述べることです。ある発言の一部の訂正から「記事違い」に発展する可能性も当然あります。ただし、それは交通整理さえしっかりしておけば、問題はありません

それはあなたの側だけのあなた1人の理論だね。
あなたの長文持論展開は交通整理は少しもされてない。だから相手に伝わらないことの方が多い。そして管理人に従っていない。

お玉さんへ

>それはあなたの側だけのあなた1人の理論だね。

いえ、ぜんぜん違います。

エントリー内で展開された発言の一文や事実の提示をピックアップして、それに対応したものが「発展する」ということがあります。特に、『事実の提示』については、発言者に発言したことへの責任が生じます。従って「説明」のために長文になることがあります。

批判されるべきは、「まったく関係ない、突拍子もないもの」です。


>あなたの長文持論展開は交通整理は少しもされてない。

交通整理をするのがブログ主の責任です。私の長文展開は、私の発言に対する責任を果たそうとしている「結果」ですから、私の長文展開を批判する正当な理由はありません。


>だから相手に伝わらないことの方が多い。

基本的に、「伝わらないことの責任」を負うのは「読み手側」です。
ただし、次の場合は、「書き手側」の責任となります。

1.ニュースや雑誌の記事等の「新情報」
2.通説あるいは多数説と異なる説
3.学説等、高度な知識や細かい情報を知らないと、相手が理解することができないもの
4.発言者自身の「意見」や「解釈」として述べるもの

新聞やTVのニュースで容易に入手できるレベルのものについて、その根拠の提示や説明を発言者に求めるのは、読み手側が「発言を理解する努力を怠っているだけ」ですから、そのような発言はNGです。
しかし、そうした容易に入手できるレベルではないものについては、読み手側が理解しようにも理解する材料が入手できません。従って、これは発言者の責任となります。

この私の発言を否定する思考は、「メディア・リテラシーを持たなくてもいい」と宣言するのと同じですので、民主主義国家の主権者の一人と認識しているならば、私のこの発言を理解し、自分の思考及び感性とする責任が生じます。


>そして管理人に従っていない。

管理人のルールは、『公益性を逸脱しない範囲』において最優先されるものです。公益性に関わることは、管理人のルールに「従ってはいけない」し、また、管理人も「公益性を逸脱するルールを作ってはならない」のです。

以前も述べましたが、ブログというのは、不特定多数が閲覧できるものです。お玉さんが望むと望むまいと、公益性が必然的に発生します。公益性に基づく私の行動を批判せず、逸脱している私が列挙したブロガーへの掣肘こそが、管理人たるお玉さん、あなたの責務です。

う~~ん・・デモねえ・・相手(読者側に)に伝わらなければそれは単なる自己満足でしかないんだよ。で、あなたの書いた長文の持論展開を真剣に読んでる人って、多分あなたが伏せ字で書いてらっしゃる人たちだけなんだよねえ・・・・それじゃああなたの目的ははたせてないんじゃないの?


お玉は別に自分に不利な意見だから読まないとか、そういうことないしねえ。
だって、あなた以外にもうちの批判意見述べる人もいるし、議論を続けている常連も沢山いるけど・・・その人達の書いている事は結構聞く耳持ってお玉は聞いてるし、他の人たちもそうだと思うよ。

お玉は記事にさえそってくれていたらあなたに注意しないし、それに別にあなた1人に注意しているわけでもないことは、あなた自身理解してくださってると思うけど?
伏せ字の方にも再三いってるし、それ以外の方々にも言い続けてる。
これがお玉のやり方なので、あなたに何言われても動じないし、変える気もない。





>う~~ん・・デモねえ・・相手(読者側に)に伝わらなければそれは単なる自己満足でしかないんだよ。で、あなたの書いた長文の持論展開を真剣に読んでる人って、多分あなたが伏せ字で書いてらっしゃる人たちだけなんだよねえ・・・・それじゃああなたの目的ははたせてないんじゃないの?

私の目的が果たせているかどうかは、私は確認できませんが、ひとついえることは、私の目的が果たせない状態というのは、お玉さんのブログでコメントしている人の大部分が「メディア・リテラシー」がない、ということです。
まぁ、それは私の責任ではありませんので、私がどうこうする話でもないですが。


>お玉は別に自分に不利な意見だから読まないとか、そういうことないしねえ。

私も別に自分に不利な意見だから読まないとか、そういうことはないです。
極めて客観的な見地から、「読む価値がない」と判断する以外に私の感情を社会的に正当化できないコメントは読みませんが。
(私の主観ではなく、理論的に「読む価値がない」ので、私自身が読みたいと欲しても、主権者のひとりとして読まないのです。)


>お玉は記事にさえそってくれていたらあなたに注意しないし、それに別にあなた1人に注意しているわけでもないことは、あなた自身理解してくださってると思うけど?
>伏せ字の方にも再三いってるし、それ以外の方々にも言い続けてる。
>これがお玉のやり方なので、あなたに何言われても動じないし、変える気もない。

人類が命を賭けて獲得した「表現の自由」を、本当の意味で守りたいと欲するのであれば、無条件に私の発言に賛同する感情を抱かないといけませんが、まぁ、日本人に民主主義とは、ブタに真珠ですから、期待しないことにしましょう。

お玉さんの所から飛んでまいりました。
私は、wakuwaku_44 さんの仰ることについては、概ね賛成なのですがコメント欄の扱いについては、ちょっとどうかなぁと思っています。

もちろん、wakuwaku_44 さんのコメント欄運営方針については、理解できるものの、それでも削除はしないほうがいいのではないかと思うんですよね。

なんというか、理屈はそうでも、あえて載せてやるという度量というか見せることも大事なのではないかと。たとえwakuwaku_44さんから見て話が通じない、責任ももてないコメントもあるかと思いますが、そうしたコメントは放置プレイして置けばいいのではないでしょうか?あえてさらし者にしてやるくらいの意気を見せるとか。

ブログ見に来る方に、判断を委ねればいいのではないでしょうか?見に来る方々に、反論と誹謗中傷の違いを理解してもらったほうがいいのでは。

そのほうが、却ってwakuwaku_44 さんの主張に”重み”を持たせるような気がしてならないのですが。
私は、wakuwaku_44 さんの主張に、賛同することが多いだけにその点が惜しいと思っているのです。

まあ、そういう私自身ブログを運営していない身なので、wakuwaku_44さんに言えた義理ではないのですけれど。あくまで第三者の感想ですので聞き流してください。気にされたらご容赦を。

>コメントしている人の大部分が「メディア・リテラシー」がない


>人類が命を賭けて獲得した「表現の自由」を、本当の意味で守りたいと欲するのであれば、無条件に私の発言に賛同する感情を抱かないといけませんが

ふ==ん、一知半解男もこんな風に思ってる?

wakuwakuさんこの頃ものすごく上から目線なんだよねえ。
なんではじめの頃のように普通に書けない?
wakuwakuさん、こういう物言いするから読んでもらえなくなるんだよ。



一知半解男さんへ

ご忠告、感謝申し上げます。これからも、ご忠告やご意見、私の耳が痛いものでも結構ですので、よろしくお願いいたします。

imacocoなる愚か者は、晒しました。あまりにバカげたコメントなので、晒してあげようという判断です。

私がコメントを禁止しているアフォ3名は、自分のブログに限らず、私がコメントしたブログで、必ずといっていいほど「wakuwakuのコメントはすべて削除し、コメント禁止にするのが民主主義だ」と言っているような輩です。
コメントを削除しろ、コメント禁止だ、とのたまっている輩のコメントを許すほど私は度量は広くありませんが、それ以前に、こういう輩は、インターネット等の使用禁止を法制化すべきだと考えておりますので、無条件降伏でもしない限り、私がこの輩の言論の自由を認めることはないことを、大変申し訳ありませんが、一知半解男さんへ、ご了解をお願いしたいと思います。

お玉さんへ

>wakuwakuさんこの頃ものすごく上から目線なんだよねえ。
>なんではじめの頃のように普通に書けない?

一度や二度の注意で直るならば、こんな書き方しません。
私は「注意」しているのであって、「お願い」をしているのではありません。

意見の対立は大歓迎です。
「あなたの意見には、私は絶対に賛成できない。しかし、あなたが意見を発言する権利を、私はあなたに保証する」というのが言論の自由における最低限のルールであることは、私も、何の疑いもなくそう思います。
それどころか、対立した意見も尊重すべきものだと思いますし、現に私と正反対の意見であっても、私が尊敬する発言内容はたくさんあります。私が、意見が正反対であるはずの津久井さんや村上さんを尊敬しているのは、そういうことなのです。

ただし、「討論の際にやるべき責任」を果たす気もない、正確な情報を認める気もない、挙句の果てに人のコメントを読まない、こんなのは「意見」ではありません。『言論の自由』は『嘘をつく自由』ではないのです。

さらに言えば、『嘘や虚偽』は、『言論の自由』の最大の敵です。
事実に基づかない批判や非難は、単なる誹謗中傷です。「殺していない人に対して『お前は人殺しだ』と公の席で語る」のは、言論の自由なのでしょうか?少し考えればわかる話です。
さらに、もっと深刻な事件も歴史では発生しています。関東大震災での朝鮮人虐殺事件です。これは、自警団(つまり住民)による虐殺事件ですが、この原因は「デマ」なんです。


>wakuwakuさん、こういう物言いするから読んでもらえなくなるんだよ。

ですから、リテラシーが低い状態だと言っているじゃないですか。

一知半解男さんごめん、呼び捨てになっちゃってるよ~m(_ _)m

で、wakuwakuさん

>一度や二度の注意で直るならば、こんな書き方しません。
>私は「注意」しているのであって、「お願い」をしているのではありません。

お玉のブログではお玉のやり方に従って頂きます。
それが出来ないのであれば、悪いがあなたにはうちで議論する資格がないのです。

一知半解男さんはあなたと同じようなご意見をうちで議論されてますが、長文の持論展開は注意されても、あなたのようにお玉から言われたことはないですよ。

あなたと同様に注意され、出入りを遠慮して頂いた「左翼」もいる。
あなたの常識を通したいのであれば、あなたのブログでおやりなさい。

津久井さんもそしてお玉も憲法の精神を大事に思うから「削除」は滅多とやらない。でもそれは、あなたに迷惑していないからでは決してない・・・・
他の読者に気持ちよく過ごしてもらえる、コメントを頂ける状況を保つこと、これがお玉の管理人としての使命と思ってます。



>コメントを削除しろ、コメント禁止だ、とのたまっている輩のコメントを許すほど私は度量は広くありません

その気持ちわかります。私も議論していて、論点でなく、私自身の人格攻撃をされるとついつい頭に血が上ってしまいます。それで村野瀬さんの処を、出入り禁止になってしまいました(^^ヾ。自分からは、人格攻撃しないよう気をつけているつもりなんですが、実際始めると難しいですね。

もちろん、wakuwaku_44さんの方針がそうであるなら、第三者の私もその方針を尊重したいと思います。これからもがんばって活動してください。

>ふ==ん、一知半解男もこんな風に思ってる?

いや、お玉さん、私はあくまでwakuwaku_44さんの考え方を理解しているといっただけですよ。ブログ運営していないので、あまり深く考えたことはないけれど、全ての人にメディア・リテラシーを持ってほしいとは思いますが、現実的に無理な気もしますしね(自分だって怪しいもんですし)。

私は、お玉さんの所のように、建設的な意見を前提として、対立意見でもルールに沿って載せていただきさえすれば満足です。「対立意見を認める」ということは、扇動者でないことの証だと思っています。その姿勢が、その人の主張に重みを与えると思っていますので、お玉さん、私の意見はうるさいでしょうが、今後も宜しくお願いします。
(呼び捨て気にしてないですよ。付け忘れたのだろうと思ってましたので。ノープロブレムです)

お玉の記事の中で、連続投稿はいずれか一つしか表に出さないって赤字で書いてるんですが・・これはあなたにだけ言ってるのではない。ルールは守ろう。


なので、このコメントはいったん、ここにお返ししてもいいかな?
時間がたってからもう一度投稿してね。

~~~~~~~~~~~~~~

橋下氏が当選した理由
橋下落選のネガティブキャンペーンのやりすぎ

橋下氏の落選を願っていた人たちの行動が、実は橋下氏の当選に大きく貢献したのです。
知名度という点で、橋下氏が熊谷氏や梅田氏を何歩もリードしていたのは、みなさん、ご承知かと思います。

圧倒的に知名度が高い橋下氏の名前を連呼して、応援しているはずの熊谷氏や梅田氏の知名度が相対的に低下していたことに、どれだけ気づいていましたか?

府知事選は「当選者1名」の選挙です。「橋下氏に入れるな」だけでは「じゃ、誰に入れたらいいの?」になりますよ。
他の、特に無党派層にとっては、熊谷氏も梅田氏も、今回の選挙で初めて知ったわけです。橋下氏のネガティブキャンペーンを展開したところで、「熊谷氏とか梅田氏に任せていいのかどうかが『判断できない』」のです。

そうなると、消極的にも「じゃ、橋下さんでいいか」という人だって多くなることは容易に想像できます。

だから、選挙前から私は言ったんですよ。
「ネガティブキャンペーンではなく、ポジティブキャンペーンにせよ」とね。「熊谷さんが知事になったら、大阪はこうなる」とか「梅田さんが知事になったら、こういう政策を行う」ということを前面に出し、その相対として橋下氏を批判しないと、絶対に無理だって。

こういう発言をする私のコメントを削除したり、人格攻撃をするような人だから、いつまで経っても自分の支持政党が勝てないのです。
今後、私へ「根拠のない批判」や「不当なレッテル貼り」をやめ、謙虚な気持ちで自分の中に取り入れ、持説への反省の糧としましょう。

そうでないと、次の衆院選、あなたたちがいくらがんばっても、あなたたちが期待する結果になる可能性は、自民党が自爆でもしない限り難しいですよ。

まず、文頭に
議論としての稚拙さは当事者同士で認証しているとは思いますが、まずは個別の事実認証を構築してほしいものです。

冥王星は、様々な概念や理念のオリジンから見つめなおす人です。
だから、人間の権利、人権の領域を身勝手に狭める人の傲慢さには違和感があります。
問題は、その傲慢な人が、己の傲慢さを理解しない構造にあるでしょう。
法律、常識というものは、我田引水であり、合意形成の過程になっているものの明示なしで言説するべきものではないでしょう。
本件に関しては、明示されていない自然法の領域のオリジンの問題なのですがどこまで整合性ある発言ができてるのでしょうか?
例えば、人の本能を規定した上で、例外について考慮しない姿勢は、まったく科学ではありません。科学とは例外の存在を認める必要性があるものであり、それを言説しない時点でも手落ちです。科学たりえません。
冥王星は、科学という言葉に過剰反応しますが、科学と語る資格があるとは到底思えません。言葉に対する恐怖がない人もいるとは思いますが、そういう人の欺瞞と独善には吐き気しか催しません。
批判というよりも、まずは自分の思考に対する嫌疑をもつ必要があるのではないでしょうか?
私のように己の思考、理念を常に疑ってる人間からすれば、なんて底の浅い人だろう、としか思えません。
考えることを放棄した人類という言葉を平素使いますが、そのような人間にはなりたくないものです。

そろそろしつこい?

冥王星様
wakuwakuさんとよく似たお方ですねえ。

そんなにむずかしい文章で書いてもお玉には通じません。
もっとお玉にわかる言葉で書いて欲しいなあ・・(もちろんわからないお玉がいけないんですけどね)

でね、多分お玉がここに居ついて、そろそろじゃまなんだろうなあ・・だからお知り合いの冥王星さんまで出てこられたんだろうなあ・・とだけは理解出来るんですが・・

wakuwakuさんがお玉のブログでお玉のルールにしたがって下さらない限り、こうやってここへあそびに来ようかなあ・・などと思っているのですが・・

お玉おばさんへ

投稿者が『全員』、トラックバックをまともに読み、それで自分の発言を修正するのであれば、連続投稿なんてしません。
お玉さんが決めたルールを守らせたいのであれば、投稿者全員に『日本社会におけるルール』を守らせるように。

言論の自由とは、嘘をつく自由ではありません!

当然。長文返信かと思っていましたが・・

あら、短い・・

>お玉さんが決めたルールを守らせたいのであれば、投稿者全員に『日本社会におけるルール』を守らせるように

すごいなあ・・・
あのね、読む側にとっては「読む自由、読まない自由」があるんだよ。


それに日本社会のルールではなくて、それはあなたの作り出した社会におけるルールだよね。
でもあなたのその頑ななまでのwakuwakuワールド信念のモチベーションって何なのでしょうか?
今書かれているように、お玉の所に来る全ての人の考え方を修正したいの?それでは宗教だよ。今のあなたは全ての人間に改宗せよと迫る宗教者のように感じる・・・・

お玉さんへ

>あのね、読む側にとっては「読む自由、読まない自由」があるんだよ。
>それに日本社会のルールではなくて、それはあなたの作り出した社会におけるルールだよね。
>今書かれているように、お玉の所に来る全ての人の考え方を修正したいの?それでは宗教だよ。今のあなたは全ての人間に改宗せよと迫る宗教者のように感じる・・・・


「ブログとは、インターネットを媒体にして意見を述べることができる以上、公共性を帯びる」


インターネットを介するということは、不特定多数が閲覧できる状況に置くということです。そして、特定の人しか参加できないようにする等、何らかの特別な操作でもしない限り、そのことは避けられません。

そうである以上、発言者は自己の発言について、「不特定多数が閲覧するもの」という前提で記述する責任が発生します。ゆえに、「嘘・虚偽」は絶対に認められないのです。特に、虚偽の事実をもとにした批判・非難は、単なる誹謗中傷以外のなにものでもありません。こんなものは名誉毀損や侮辱という「犯罪」すらなる可能性もあります。


お玉さんのブログに書き込みをしていない、ただ閲覧している「だけ」の人であるならば、確かに「読む読まないは自由」です。


しかし、お玉さんのブログに書き込みをしている人の場合は、その人は「単なる読み手」ではないのです。
自分の発言に対する反論や疑問といった「反論者や質問者の主観・欲求」についてだけならば、好ましいとはいえませんが、それに応じる義務はありませんから、「読まない」のは許容されるところです。
また、単に誤った事実の記載だけならば、知識の限界に起因する場合が多いですから、いわば「過失」に近いものです。誤字脱字については、完全に「ミス」ですから、それ自体で責任追及されるいわれはないですし、そのことで責任追及をする必要もない。知っている人が訂正・修正してあげれば済む話です。

ところが、「誤った事実を記載したことを認めない」「誤った事実の記載を指摘され、それを修正しない」というのは『嘘をついた』のと同じこと
です。つまり、本来は、トラックバックであろうとコメントであろうと、「誤りへの指摘」の可能性がある以上、「発言者」は、逐一確認する責任があります。
ただ、トラックバックは目立たないことや、数が多すぎる場合もあるといった欠点があります。人間である以上、パーフェクトはないわけで、見落としの場合もあれば、気力もあるでしょう。
従って、こうした「事実の指摘」についてのコメントは、お玉さん、あなたのルールに沿わなくても、「不特定多数が閲覧できるものを主宰している」という『公共性』を踏まえ、お玉さんはこれを公開し、誤った事実を述べた人に対してそれを知らせるのが、「不特定多数が閲覧できるブログの管理者」としての責任となります。

この程度の一般的な話を「宗教」だと思うならば、それはそれでお玉さんの自由ですが、そう思うことで私の発言を否定し、あくまでもお玉さんの「わがまま」と貫くというのであれば、それが原因で「お玉さんは虚偽の流布に加担する」という結果につながることもある、言い換えれば、お玉さんの「わがままやルール」を貫いて、虚偽の発言に対する訂正コメントを拒絶するのであれば、「お玉さんご自身が、嘘を流布したのと同じになる」ということを肝に銘じておかれた方がいいですね。

今回は長いですね。

肝心なところ・・
あなたが「嘘」「虚偽」と思うところをお玉はそう思っていない。
そしてあなたが話し事が全て真実で正しく正確であるとお玉は思っていないということ・・

お玉は自分の信じていることの信念は曲げないけれども、信じてない人にそれを強要したりしない。
でもwakuwakuさんは自分が信じている正しさを振りかざし、全てのものへ信じさせようとする・・

何度でも言うよ。あなたはお玉の所では管理人であるお玉のルールに沿って議論しなければならない。

あなたの振りかざすその正義は、必ずしも正しくないかもしれないことを、あなたは謙虚に受け止めなければならない。

そのお玉のルールはたったこれだけ・・
   お玉の所でかってに仕切ったり、削除基準作ったりしないこと。
   長文で持論展開はしないこと。
   記事に即していないと言われたら、反論があろうともいったんは下がること。
   お玉への文句を自分のブログに書いてTB下さるのは大歓迎です。


一知半解男さんのこの言葉は最高にうれしかった。

>私は、お玉さんの所のように、建設的な意見を前提として、対立意見でもルールに沿って載せていただきさえすれば満足です。「対立意見を認める」ということは、扇動者でないことの証だと思っています。その姿勢が、その人の主張に重みを与えると思っていますので、お玉さん、私の意見はうるさいでしょうが、今後も宜しくお願いします。

wakuwakuさんあなた1人が、いえ、あなたに影響されて何人が出てきて、いくらここやお玉の所で怒鳴ってもお玉は全然平気なんだよ。人の言葉は「正義」だけを振りかざしても伝わらない。

お玉さんという人へ

まず、科学という言葉をどこまで理解して使用しているのでしょうか?
あなたが「思いこんでる」ことが事実ではないと立証できたとして、あなたがそれを認めることができるとは思えません。
それは事実として思い込んで、それを唾棄できる度量が見えないからです。
その根拠になるものは数多くの言説から導き出せます。
仔細つめれば、
「なんて蒙昧、傲慢な人なんだろう」と結論になります。

より簡単に表現すれば、詐欺師のエゴイズムという指摘ができます。
それは、あなたが求める簡単な表現に変換してのお話です。

それを許す度量があなたにあるのでしょうか?私にはあるとは思えません。
判るように表現することは誤解を招くことにしかなりません。そこまで覚悟しているなら、何度でも評論しましょう。
「詐欺師のエゴイズム」の話でしかない・・とね

私はあなたの言説の一部を切り取ってその間違いを訂正できます。それを認める度量がないと思うので、あくまでも冥王星のブログだけでしか記載しません。
当然のことですが、あなたのブログでは理解できない話も可能な限り説明します。
あなたのブログにおける見解には、既存の社会構成を否定する意味での危険性さえあります。それを否定するつもりはありませんが、己の望みを実現させるための持論があまりにも、独善すぎる、とだけは言いえます。もちろん、その独善への恐怖がないことも想定しております。

そして、あなたの間違いと言える部分も明示しております。しかし、それを理解できない人はそれまでだと思いますし、放置する自由も否定しません。(言うまでもないが、理解できない不幸は当事者の責任でしかありません。)
理解できない・・だけで人間の活動が終わるなら、それこそ猿と同じでしょう。
判ろうとする意思がないなら、それまでです。それは人間的活動とは言えないでしょう。
もし、あなたのスタンスのように「理解できません」で終わるなら、猿と変わりませんね。
私はそんな人間ではありませんので、当然、そういう態度を見て、「ダメ人間」だと思います。
理解できないなら、理解できるように努力することも方法論です。理解した上でその価値がないと判断するのなら、問題ないでしょうが・・
言葉を精査していけば行くほど、ナンセンスを通している・・このような醜聞を私は、世間様に晒してみてもいいと思います。
それを恥ずかしいと思わない人間がどれだけ居ようとも、論理的には、ナンセンスでしかありませんし、諸学通じてあなたの持論の一部は完膚なきまでに否定できることでしょう。否定されても認める人とは思えないので、批判しない・・という人も多いでしょう。(むしろ、冥王星は最近までは、ダメな奴は相手しちゃいけない、というスタンスで行動してきましたので)
私の知る賢い人は、このような駄文、説得力も論理性もない話には付き合いません。その時間と労力を惜しむからでしょう。しかし、無知は無知な人間同士で間違った見解を深めることが多々あるわけです。その不幸は当事者の問題でしかないのでしょうが・・・・
あなたの言説を「人の醜さの事例」としても、いい反面教師になるとも考えている次第です。
ここでいう「醜態」とは宗教と同じく、信じて疑わない姿勢、思考停止、視野狭窄という人間行動の愚かさの模範例であり、誰しもが陥ることですが、その頻度の違いがあるのでしょうが・・

さて、高校生レベルから小学生レベルまで文章を簡単にしてみました。理解できれば幸いですが・・・

>あなたが「嘘」「虚偽」と思うところをお玉はそう思っていない。
>そしてあなたが話し事が全て真実で正しく正確であるとお玉は思っていないということ・・

そう思えない人が多いことが、橋下氏が知事選に当選してしまった最大の原因であることを、あなたは肝に銘じるべきでしょう。

>何度でも言うよ。あなたはお玉の所では管理人であるお玉のルールに沿って議論しなければならない。

それよりも優先するのが、公益性です。公共性の尊重はあなたのルールに優先します。

>あなたの振りかざすその正義は、必ずしも正しくないかもしれないことを、あなたは謙虚に受け止めなければならない。

少なくとも、正しい可能性がある根拠を提示しております。そうである以上、その根拠を覆すことができなければ、「正しい」として認識しなければなりません。根拠を提示している時点で私は謙虚です。それを受け入れない時点であなたは傲慢です。


>wakuwakuさんあなた1人が、いえ、あなたに影響されて何人が出てきて、いくらここやお玉の所で怒鳴ってもお玉は全然平気なんだよ。人の言葉は「正義」だけを振りかざしても伝わらない。

そういう感性を持つ人が多いからこそ、「日本人に民主主義」=「ブタに真珠」であることを肝に銘じなければならない。
もっとも、それができていれば、日本経済はもっと早い時期に回復し、格差社会も起こらなかったのであろうが。

お玉さんという方へ

誤解されておりますが、ワクワク氏とは仲良い部類でもありません。
思想性が違えども事実認証が同じであるから、価値観の問題で意見が違うだけのことです。(これくらいは言葉として理解できると思いますが)
個人が「嘘」「虚偽」だと思えないで済ませることができるなら、説明責任などは社会的には要求されません。
しかし、現実には行為においての責任と並行して社会的に説明責任が問われます。
「説明責任」を負わない自由もあるでしょうが、そのような言説にはまったく説得力がないのは言うまでもないでしょう。
うちのブログで取り上げたのは、あまりにも「傲慢、不遜」なあなたの言動の一部を冥王星なりに処断したまでです。(遺伝子の問題などでは、ワクワク氏とはまったく別の見解でもある)
あなたに冥王星のブログへの反論を期待しないでもないですが、反論ではなく、反抗的な感想文になると想定しています。
簡単にいえば、「論」になってないのがあなたの文章の顕著な特色と言えます。
「論理性」を満たしてないことも説明いたします。論理という以前に、存在しない事実認証という次元の問題も多いと言えます。

さて、ブログのコメント問題に関して一言だけ

冥王星は、コメント・TBの拒否を管理人の権利として発動しますが、それは独断ではありません。ブログのルールすらも、閲覧者の中から意見を募り、合意形成したルールがあります。
そういう冥王星からみれば、独断でルールを構築している時点では「表現の自由」というものを軽んじている、と言えます。
冥王星の姿勢が妥当とは言いえませんが、より民主的な視座でいえば、管理人がルールブックであるにしても、関係者に諮る必要性があると思います。
そして、冥王星のブログでは唯一一人だけ常連の大多数の賛成をもってしてコメント、TBの拒否権利を発動しております。
その権利発動に際しての抗弁の機会さえも与えましたし、批判される余地はないと思っています。
正直に言えば、「私の部屋だから私がルールを作る」というのは所有者であっても独善であると言えると思います。
ブログは管理人一人でも構成できます。しかし、閲覧者の存在を無視して独善を行うことは冥王星にはできません。それくらいのは留意があって初めて、「表現の自由」は制約するべきではないでしょうか?
公益性を逸脱しているのか?という判断は高度な問題です。価値観の領域でしょう。私一人ではそのような判断は下せないからこそ、関係者にも謀ったわけです。
そこまでの留意のある冥王星からすれば、お二人のコメント拒否削除問題は、独善すぎるとしかいいようがありません。(冥王星の姿勢が正しいとは言いえませんが、より妥当性が多くの人数によって確立できると任じています)

中学生レベルまで咀嚼してみました。これがどのくらい理解できるのか?不安ではありますが・・・

以前ややこしい書き方をした、リアルサイドの御客様から詐欺師呼ばわりされていた仮)山田二郎です。

管理人様の書き込みを楽しみにしていた者としては、出入り禁止になってしまったのは非常に残念です。
どうも左翼的な方は、軍事ネタになると思考停止してしまう傾向が強く、議論が成り立ちにくいですね。(自分も昔そうでしたから)

思考停止…ですか。右のかたに左を説得できるだけの説得力がないだけではありませんか。
右のかたの話の持っていきかたには、ある種のパターンが有るそうです。南京虐殺からその評論(ブログ?何処かは忘れました)にリンクでたどり着いたのですが、次に挙げるような特徴だったと思います。
・枝葉末節にこだわる(全体を見えにくくする)
・反論の間違いのみを集中攻撃する
・数にこだわる(十人でも虐殺なら百人単位でも大虐殺だと思うんですが…)
他にもあったかもしれませんが、私は都合のいい記憶力しか持っていませんので、割愛させていただきます。
何にしろ思惑が透けて見える事ってありますよね。その時、人は読まない聞かないの方向へ向かうのでは無いでしょうか。
閲覧者には読み、書く権利がある。と、なると、執筆者には読ませる書かせる義務があるのではありませんか。個人の人格攻撃や仕切りは、その義務をはたしていないように見えます。
事実真実の追究はすべきだと思いますので、異なる視点からの意見は絶対に必要です。とにかく、排除するでなく、人を注目させる書き方を身に付けてみてはいかがですか。私を含めて馬鹿は馬鹿なりに考えているのですから。

まる出し馬鹿さんへ

>思考停止…ですか。右のかたに左を説得できるだけの説得力がないだけではありませんか。

左か右かについては、私は関心がありません。
ただ、ひとこといえるのは、「説得力のある発言を行っても、それを無視する」ということが起こっているのは確かです。
つまり、「理論として成立している話に対しては、理解し、納得する」というモラルができていないブロガーがあまりに多すぎることが問題なのです。

>右のかたの話の持っていきかたには、ある種のパターンが有るそうです。南京虐殺からその評論(ブログ?何処かは忘れました)にリンクでたどり着いたのですが、次に挙げるような特徴だったと思います。

これも左右関係なく同じ傾向が見られます。まる出し馬鹿さんも似た傾向があります。

>何にしろ思惑が透けて見える事ってありますよね。その時、人は読まない聞かないの方向へ向かうのでは無いでしょうか。

もし、悪意のある思惑が透けて見え、そして、それに返答する気がないのであれば、返答しない理由を理論的に述べ、返答しないことの正当性を証明しなければなりません。
それを怠って無視するとき、無視した側は「私の論が正しい。ごちゃごちゃ言うな!」と言っているだけの状態に成り下がります。

>閲覧者には読み、書く権利がある。と、なると、執筆者には読ませる書かせる義務があるのではありませんか。

基本的には、執筆者にはそんな義務はありません。あるのは「権利」です。
ただし、質問に対して返答するのは、不特定多数が閲覧することができるインターネットで展開するブログにおいては、「責任を果たす」という意味で、ある意味道義的な義務が発生しているといえるでしょう。

>個人の人格攻撃や仕切りは、その義務をはたしていないように見えます。

個人の人格攻撃については、正当なものと不当なものがあります。

私に対する人格攻撃は不当です。なぜなら、私の論は、正確な基本知識をもとに、証拠あるいは理論的に成立する根拠の提示を伴う発言をしております。こういう発言者に対する人格攻撃は不当であり、攻撃した側にペナルティが与えられなければなりません。

私が行っている人格攻撃は正当です。なぜなら、私の場合は、「自分はこう思うが根拠」とか「誤りを認めない」「誤りがあるのに訂正しない」、そして、私の修正等を削除したり無視するといった、「嘘つき」と同じ行為を行っている人間に対して行っているものであるからです。批判や非難は、対象者の名誉や信用を落とす効果があります。従って、批判や非難は注意深く行わなければ、ただの「誹謗中傷」になります。

権力者に対する批判や非難も基本的には注意しなければなりません。
これは、根拠や証拠の提示がない批判や非難を放置しておくことが、プロパガンダやデマにつながる危険性すらあるのです。

>事実真実の追究はすべきだと思いますので、異なる視点からの意見は絶対に必要です。

もちろんそうです。それを排除することは、私はしませんし、する気は毛頭ありません。
私が指摘するのは、「そのような事実はない」とか「そのような可能性は低い」というものです。私と同じ意見の人間が、私と異なる意見に対して、理論的に異論も成立しているにも関わらず排除を目論むならば、私は「私と同じ意見の人間」であっても、批判します。

>とにかく、排除するでなく、人を注目させる書き方を身に付けてみてはいかがですか。私を含めて馬鹿は馬鹿なりに考えているのですから。

それは無理です。なぜなら、私のコメントを「読まない」「UPしない」という時点で、「正当な意見を聞く気がない」からです。私は、貴殿に指摘されずとも、人を注目させる書き方を身に着けています。いくら人を注目させる書き方をこちらが展開しても、相手に聞く気がないなら、もはやそれは不可能です。
従って、貴殿は私にではなく、他のブログで私のコメントをUPしないとか、わけのわからない非難を展開している人に対して注意をすることが筋というものです。

まず人間の知性限界とも言うべき表現が露骨に存在している
「右翼」「左翼」「などの二極的な対人理解を行っている時点でどうなのだろうか?
同時にその判断基準はどこにあるのだろうか?

>・枝葉末節にこだわる(全体を見えにくくする)
「100」という数字の全体像を見るのに、「0」二つと「1」という情報が必要なものです。その情報に拘ることで全体が見えなくなることがありえるのでしょうか?
全体と観測する地点でそのもの本質は変化するものではありません。変化するなら見えにくくなる、とでもいえるでしょう。同時に、全体像を掴むためには、視野の限界があることは言うまでもありません。宇宙の全体像を知覚するために、枝葉の情報を見ることが有益であることは否定できないでしょう。
そもそも、全体像の見解の差異があるなら、枝葉を煮詰めるのが科学的議論であり、全体像が見えにくいのではなく、己が見えている全体像を否定する枝葉が見えることへの恐怖でしかないでしょう。
本当に全体像が見えているなら、枝葉などを詰めて論じても一向に萎えることはないでしょう。

>反論の間違いのみを集中攻撃する

反論の間違いを集中攻撃することに意味があるのは言うまでもないでしょう。事実認証の真贋をつめないでいることには問題があるでしょう。もし、間違いであれば間違いだと認めればそれで進捗するでしょう。もっとも、間違ったのならそれを素直に認めれば、逆上しないでしょうし「反論の間違いを集中攻撃」という批判などしません。(言うまでもなく、そんな抗弁は己の恥の上塗りでしかないのだが)

>数にこだわる(十人でも虐殺なら百人単位でも大虐殺だと思うんですが…)
虐殺の定義の問題でしょう。虐殺という用語の構成要件が何になるのか?という問題です。
一人でも虐殺たりえるかもしれませんが、そこは価値観の問題でしょう。数に拘る人に反論するなら、それが違うことを論説するべきでしょう。それをやって、初めて「虐殺」という言葉の説明を行うべきでしょう。

>閲覧者には読み、書く権利がある。と、なると、執筆者には読ませる書かせる義務があるのではありませんか。個人の人格攻撃や仕切りは、その義務をはたしていないように見えます。

どこにそのような義務が規定されているのでしょうか?
人間の権利のオリジンは自然法や憲法などで規定されています。義務に関しては非常に制約されているのが現状です。
それが義務ではありませんか?という強制されるような問題でしょうか・・・・
むしろ、その義務では、逆に「執筆者には読ませない書かせない自由・権利」を侵害するということにしかなりません。このような権利もないのでしょうか?
義務を相克する権利を想定して考えれば、蒙昧な義務規定なのか・・明白でしょう

>人を注目させる書き方を身に付けてみてはいかがですか。私を含めて馬鹿は馬鹿なりに考えているのですから。

人に注目される文章であることに価値があると言い切れるのでしょうか?
馬鹿は馬鹿なりに考えて生きてるわけですが、その馬鹿を相手しない自由もあるわけです。好かれたいから文章を書くわけではありません。自己表現などの多様な意味があって、ブログや文章を書くのでしょうから、目的を独善的に一般化する傲慢な態度はいかがなものでしょうか?
目的意識は様々あります。仕事はあくまでも所得を得るために人がいれば、生き甲斐にもなる人もいます。己の目的意識だけで他人を諮ることの傲慢さを社会で痛感することはないでしょうか?
冥王星は、視野狭窄な人間にはなりたくありません。だからこそ、多くの人間の見解、思考、論理を知りたいと思います。しかし、論にもならない感想文は論外だと判断しています。(感想文と相対しないことを批判するのはご自由に・・・それに甘んじておりますので)
しかし、それが独善、傲慢、思い込みに過ぎないなら、それと相対することを必要としません。そこまで他人との関係を深くしようとは思わないからです。
身勝手に、義務を規定したり、「べき」論をする人間は自由主義社会の敵としか歴史観測できません・・・・馬鹿は馬鹿だから許されるのであって、馬鹿の自覚のある馬鹿は、その自覚をもって行動するべきであろう・と思います。
「俺は馬鹿だから」という言い訳は否定しません。しかし、「馬鹿でも馬鹿なりに」という気概がある人を「馬鹿」とは冥王星は観測できません。

文末に「人格攻撃」の自己満足な見解を
人格攻撃というものは、攻撃された側、攻撃した側の見解によります。第三者が「人格攻撃」だと判断したとしても、攻撃された側と攻撃した側の問題に集約される問題でしょう。
人格攻撃は不当ではありません。言うまでもなく、人格部分においてその個性の評価がプラスにもマイナスにもなる可能性があるからです。
「怜悧」という人格評論があります。これは、良い意味、悪い意味の両論の存在ができます。攻撃する側の意思が明確に分かるならば、人格攻撃という理解はできますが、それが明確化できることはありません。つまり、人格攻撃というものは総じて意思側の人格評価が明確化しないと不当とはできないということです。
 もし、人格攻撃が不当であるとして、どのような言葉が人格攻撃の用語たりえるのか?という規定も必要になるでしょう。
余談になりますが、近年ネットに流布する韓民族(朝鮮の方々)を「チョン」と蔑視用語を使いますが、この「チョン」の由来が単なる韓民族に多いファミリーネームから起因していれば、むしろ好意的な言葉とも解釈できるのです。しかし、現在では、蔑視用語と解釈されるからこそ「チョン」という言葉を使わないだけですがね・・・

ちなみに冥王星は「魂のステージが低い」という言葉をいただいてますが、これは人格攻撃でしょうか?まったく解釈しようがありません。「魂のステージ」は高いほうがいいのでしょうか?低いほうがいいのでしょうか?それともステージはないほうがいいのでしょうか?
 よく分からないので、この言葉は人格攻撃とは解釈しておりません。(周りいわく、人格攻撃の部類らしいですが)
 ”どこ”で”いつ”、「人格攻撃された」と判断されるのか分からないので、到底、冥王星は人格攻撃を不当とはできないですね。(現実的には)

相変わらずの駄文失礼w

一行で書けとは言いませんが、もっと簡潔に書く努力をしてください。
はっきり言って全体像が見えません。
私の指摘した、一部に集中攻撃して全体像を見せなくする手口そのものではありませんか?
誰の話か忘れましたが、賢い人はより多くの人に理解してもらう為、同じ意味のより判りやすい言葉を使い、そうでない人は自分をより賢く見せる為に、なるべく難しい言葉を使おうとするらしいです。あなたの言葉はどちらですか。
人に読んでもらいたくなければ、他人のブログにコメントするのは単なる運営の妨害ですよね。書く権利ばかり主張して、読ませる義務を果たさないのはそういうことです。
権利と義務が一対のものだと知らない人が、偉そうに何か主張してしていても、単なるガキのたわごとにしか見えませんよ。

>誰の話か忘れましたが、賢い人はより多くの人に理解してもらう為、同じ意味のより判りやすい言葉を使い、そうでない人は自分をより賢く見せる為に、なるべく難しい言葉を使おうとするらしいです。あなたの言葉はどちらですか。

このような言動は小学生のレベルの気概の人の戯言です。分からないことを棚に上げる逃げ口上でしょう。
ブログでも記事にしていますが、例えば、「国連軍」という言葉が存在していますが、これは便宜上の言葉でしかありません。法的に存在している「国連軍」などこれまで一度たりとも組織されたこともないわけだが、教科書やメディアが便宜上「国連軍」という言葉を使用している程度であって、誤解を招く用語使用の事例は山ほど存在しているのである。
早い話が使っている人がいるからその言葉は正しい、と推定しているだけのレベルということです。

「簡単に説明する人が賢い」、というのは、”馬鹿な人から見て賢い”だけでしかないでしょう。
つまり、無知なレベルからみて賢いだけであって、ある程度の知識がある人からすれば、仕方なく「無知な馬鹿のレベル」に合わせて誤解されてもいいように説明している、に過ぎないでしょう。つまり、便宜上誤解を恐れないで説明しているだけに過ぎません。
(無知であることは罪ではないので、誤用していても咎められないレベル相手なら、通俗的な間違った用語説明もします。)

一見上記の反論は論理的なようですが、論理的な破綻を例示すれば、「賢さ」の程度という問題があります。
10レベルという事象を理解している人が、1レベルしか理解していない人に、1レベルで説明する。
しかし、1以外の理解の人に1のレベルで説明することはしないだけです。当然ですが、1レベルの理解の人には、それ以上のレベルの説明は理解できることはできない・・・その程度のお話と言えるでしょう。

明確に言えば、私より賢い人は山ほどいます。しかし、レベルとして己が低いことは理解していますから、長い文章から理解できる部分を抽出するだけの思考訓練をしています。
「長い文章で理解できない」ならば、説明を求めることも方法論でしょう。
それをしない時点で「無知を知」という水準で価値の低い人間だと言えるでしょう。

ついでに言えば、理解できないことを他人の責任にすること・・・・これほど見苦しいことはありません
もちろん、そのような行為を見苦しいと自覚できないからこそ、このような逃げ口上を書くとも判断できます。
とても、見ていて恥ずかしいと冥王星は思います。このような逃げ口上、逆上するような人間にはなりたくないものです。

>人に読んでもらいたくなければ、他人のブログにコメントするのは単なる運営の妨害ですよね。書く権利ばかり主張して、読ませる義務を果たさないのはそういうことです。

そもそも、「読ませる義務」などありません。「表現の自由」は”理解できない表現であれば制約される”、ということになれば、当然ながら「抽象画」などは理解できない人が多いので、あなたのいう存在しない「読ませる義務を果たさない」ことと同じことです。しかし、理解できない表現であっても公益性を損じない限りは「表現の自由」と想定され許されます。
まずもって明言しておきたいことが「義務を身勝手に規定するな」という問題でしょう。
もっと言えばこの方のように身勝手に義務規定するならば、「分からないなら、分からない箇所について説明を求める義務もあるでしょう」と冥王星は義務規定しますがねw

もしこのような義務を身勝手に設けることができるなら、冥王星は「無知を恥じない輩は死ぬ義務がある」とでも言明しておきます。こんな言動を当人がしていることを理解できない・・・これが本質的な問題といえるでしょう。

馬鹿は馬鹿なりに考えてます

国民の納税の義務に対して、国が税金をとる権利
教育を受けさせる義務に対して、教育を受ける権利(これは老若男女問わず全ての人に対して)
大臣議員裁判官公務員が憲法を守る義務に対して、国民がその人達に憲法を守らせる権利
国民の知る権利に対して、国が知らせる義務(情報公開に対する法律条令はこれが根拠)
ブログを読み書きする権利に対して、ブログを読ませる書かせる義務
管理者に読ませる書かせる義務が無いなら、閲覧者に読み書きする権利も無くなりますね。わかりましたか?
私は自分の無知ぐらい知っています。ですから時間をかけて、推すか敲くか言葉を択んでいるつもりです。
私はあなたが自分自身の向上に励むなら、「あなたには生きる権利が有るし、私を含めた周りの者はあなたを生かす義務がある」と言っておきましょう。教えを望まない者に教えるのは行き過ぎかな・・・

まる出し馬鹿さんへ

国民と国家権力との関係において、国民の権利を国家権力が保障する義務があるというのは、そもそも「国家」が「国民の権利利益を保証するために存在するもの」という、『存在の前提』があるからです。

ブログは、別に「閲覧者の権利利益を保証するために存在するもの」ではありません。従って、管理人に個々の閲覧者に読ませたり書かせたりする義務が発生することはありません。もちろん、閲覧者は読んだり書いたりする権利はありますが、それを管理人が保証する義務は負わないのです。
ただし、管理人といえども無限に免責されることはありません。それは「公共性」です。ブログは不特定多数の人が閲覧することが可能になりますので、「公共性の遵守」は管理人の義務となります。
この「公共性」とは、「国民が正確に物事を判断することを阻害しない」「特定の国民の個別具体的な権利利益を不当に侵害しない」という観点から課せられる義務です。従って、誤った情報の訂正は管理人の義務となります。管理人自身がそれを果たしえないときは、訂正投稿があったときは、その訂正を「何人に対しても」開放しなければなりません。虚偽の情報やヘイトスピーチは削除する義務が発生します。
また、投稿を削除する権利は管理人にありますが、上記の「公共性の確保」に相当する投稿は保護する義務が発生するので、基本的に私が投稿した内容は、何人も削除したり拒絶してはならないのです。(ただし、罰則がないので、削除されてもペナルティはないですが)


>「あなたには生きる権利が有るし、私を含めた周りの者はあなたを生かす義務がある」と言っておきましょう。

「生かす義務」はありません。「生きる権利を侵害しない義務」があるのです。


私は基本的に、一部の私を排除するためだけに投稿する愚か者の投稿及び宣伝の除いては削除することはありませんので、まる出し馬鹿さんの投稿をUPしていますが、かなり「間違い」がありますので、これ以上、冥王星氏への反論投稿が、事実や理論と異なる内容であるときは、公共性の見地から削除させていただきますので、投稿する際は、きちんと最低限の学習をしてください。

義務と権利

生きる権利を常に主張するものがいたら、その権利を行使する事を阻害しない義務=生かす義務になりますよね。常に主張しているわけですから。殺す権利を持つ者はどこにもいません。産まれたての赤ん坊でも120年後には死ぬのですから、殺すのはこの世界=宇宙の法則のみが持つ権利であって、人が持つ権利ではありません。
管理人さんが、このブログを全ての人に読んでもらう必要がないと判断されているなら、コメント禁止にも出入り禁止にもしてもらってかまいません。私が管理人にとっての読んでもらいたくない、書いてもらいたくない人にあたるのですから。そういう右派ブログがよく陥る内輪うけで終わらないよう気を付けてください。
最後に確認します。
このブログの管理者は「誰もが読み書きする権利」を『否定』する見解でよろしいですね。
今まで書かせていただきありがとうございました。ごきげんよう。

まる出し馬鹿さんへ

>生きる権利を常に主張するものがいたら、その権利を行使する事を阻害しない義務=生かす義務になりますよね。

なりません。
「生きる権利を阻害しない義務」と「生かす義務」の大きな違いは、『他人が死を希望したときの態度の違い』です。前者は、「他人の生きる権利を邪魔しない」だけであって、「死を希望したとき、それを止める義務が発生しない」のです。後者は、「死を希望した人を止める義務が発生する」のです。この点で大きな違いがあります。
自己の生きる権利に対応する他人の義務は、前者であって後者ではありません。


>そういう右派ブログがよく陥る内輪うけで終わらないよう気を付けてください。

余計な心配はご無用です。
少なくとも、どこかのブログのように、嘘を放置し、訂正する私を削除するような良識のない人はいませんから。

>最後に確認します。
>このブログの管理者は「誰もが読み書きする権利」を『否定』する見解でよろしいですね。

いえ、よろしくありません。
あなたには、このブログで「読み書きする権利」はあります。しかし、私はその権利を「保証する義務がない」だけです。
プロフィール

わくわく44

Author:わくわく44
地球温暖化の流れに逆行して、財布の中身は常に氷河期到来している、「生活は庶民以下でも、志は貴族」(←鈴木邦男氏・談)と、言える日は来ないだろうなぁ・・・。

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