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世の中、不思議な人がいるようです

『メディア・リテラシー』という言葉をご存知でしょうか。

そもそも「リテラシー」という言葉は、「読み書き」というように訳されることが多いわけですが、「メディア・リテラシー」とは、情報を正しく理解し、必要な情報を選別し、その情報を活用するという能力の意味で使われることが多いようです。

情報は、発信側の「主観・解釈」というバイアスを通じて受信側に伝わるのは、人間である以上、ある程度はやむをえないわけです。情報源に近い人と遠い人では、当然情報の精度は異なりますし、また、その情報を処理するために必要な情報の保有割合によって、情報の発信も受信も、その理解に対する正確性が異なってくるわけです。
インターネットの普及により、情報の発信手段の多様化と簡易性が高まったため、発信者が激増したため、情報の正確性・信頼性が相対的に低下し、発信者側の情報に対する責任もさることながら、受け手側、つまり「情報を得る側」も、その情報の正確性について自ら判断し理解する必要性が高まりました。
これが、『メディア・リテラシー』の重要性が高まった背景にあります。

メディア・リテラシーを高める方法は、「これだ!」と断言できるほど自信を持って語れるものはないですが、私がカンタンに思うに、その情報の基本となる情報(知識)を養うこと、別の情報も参考にすること、そして、できるだけ主観を排して情報の理解に努めること、批判精神を持って情報の理解に取り組むこと、この4つじゃないかなって思っています。
このうち、「別の情報を参考にする」というのは、例えば「円錐を見る」ということに例えられるかと思います円錐は、上下から見れば「丸」に見えます。ところが、側面から見ると「三角形」に見えるのです。見る角度によって「見え方」は異なりますが、円錐が他の物体に変わるわけではありません。「別の角度から見る」とは、こういうことなのです。

ところが、この「メディア・リテラシー」について、おもしろいことを述べる方がいます。

『権力、財界、企業資本に迎合する報道はもはや報道ではなく、大本営発表であり、デマの手段です。』
・・・どのような報道が「権力、財界、企業資本に迎合する報道」なのか、その定義がわかりません。第一、情報の真偽とは、事実を正確に述べているかどうかだけが問題なのであって、発信者が誰なのか、という問題ではありません。もっとも情報の確認や検証する前においては、発信者によって「情報の信頼性」が左右されることはあります。

『その上で、野党の機関紙誌は現実政治の最も鋭い権力監視機能、告発・暴露機能を果たすメディアとして存在しておりますが、忘れがちです。 』
・・・政党は、国民(有権者)に支持されるために行動をしているのであって、情報の正確性を担保するものではありません。このことは、与野党いずれも同じです。与党と野党が同一の情報提供をしても、「価値観・見方」というバイアスを介して提供すれば、「表現方法・表現ポイント」で相違が発生することもあります。

『先入観を排した、いわゆる中立の態度、認識、判断とは「読売新聞も朝日新聞も事実を報道している」「公明新聞も赤旗新聞も事実を報道している」しかし、事実が食い違う報道が掲載されるときがある。どちらが事実であるかが問題になる。あるいは、誤報という場合もある。』
・・・情報が異なる理由としては 1.一方が誤報 2.双方とも誤報 3.一方が情報不足 4.双方とも情報不足 5.一方が「解釈」を入れている 6.双方とも「解釈」を入れている 7.情報の重点ポイントが異なる、と、ざっと考えただけでも、これだけ出てきます。まだ他にも理由はあるのでしょう。
一般的には、「公明新聞と赤旗新聞が異なる報道をした」とき、読み手は「どっちが正しいんだ?」と疑問に思うだけです。それ以上もそれ以下も、特に感想は抱かないでしょう。

『しかし、誤報は反対する具体的な事実を上げて訂正報道を求めることでメディアが誤報したかどうかは判断できる。』
・・・意味不明です。「誰が誰に」が抜けているし第一、訂正報道を求めているかどうかを、どうやったら知りうるというのでしょうか。実に不思議です。
さらに言えば、「訂正報道を求める」必要性がなぜあるのか、というのが理解に苦しみます受信側からすれば、「情報を正しく把握・理解し、活用する」ことが重要なのであって、発信側に訂正を求める必要などないわけです。
もっとも、名誉毀損・信用失墜のときは、被害者は損害回復のために訂正を求めるでしょうし、社会的損失の蓋然性が高い情報を専門家が指摘して訂正を求めることはあるでしょう。しかし、そういうことがないのであれば、特に訂正を求める必要などありません。「この報道は事実と異なる」という「正しい認識と理解」があれば十分なのです。


しかし、主観と思い込みで物事を考えるのは、それはそれでその人の自由ですから、そんなことは別にどうでもいいんですが・・・・。
このご仁、自分と対立する人は、非人間的で、反社会的で、反民主主義的であり、排除しなければならないんだそうです。

「人間的」「社会的」「民主主義」を決める権限があるんだそうです。


すごい権力ですね。神様みたいです。

神様ってことは、ナメック星人なのか?フリーザから逃れることができたのかな・・・・、なんでもない。
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どこかで読んだような・・・。

引用部分の文章、どこかで読んだことかあるような・・・。

階級闘争観(といえばいいのでしょうか?)も確かに、ものごとを観る上で必要な視点のひとつだとは思いますが。
ただそれが唯一絶対の如くの視点となりますと、読み手にある種(書き手と)共通の前提を要する、といった論調になってしまいます。
見える人には、見える。ですから、「神様」でしょうか。

結局それは、定着しないと思います。

ちょっと本論とズッチャいますが(北海道弁?)、
約20年前の「ダメなものはダメ」の「おたかさん」、当時はそれこそ「旋風」だったかのもしれませんが、結局のところ、一過性のものでした。

どうも初めまして。私、メディアリテラシーに関してはあなたの言う「神様」のブログにて

ttp://www.nhk.or.jp/kdns/nattoku/07/0616.html

でも読んでみたら?と神様に提言したことがあるんですが・・・どうやらこの「神様」は
小学校中~高学年レベルの文章すら理解出来ないようでしたorz

というか私の書き込んだ「90式戦車云々のエントリ」は、余りにも無茶苦茶な屁理屈やら
何やらのオンパレードで、読んでるうちに何度も正気を失いそうになりました・・・
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地球温暖化の流れに逆行して、財布の中身は常に氷河期到来している、「生活は庶民以下でも、志は貴族」(←鈴木邦男氏・談)と、言える日は来ないだろうなぁ・・・。

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