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京都女子大が大阪守口市と提携

ネットサーフしていて、たまたま見かけた記事ですが、こういう取り組みはいいですね。

来年4月以降、守口市の小中学校および幼稚園で、教員志望の学生を実習やボランティア、インターンで派遣し、学生のときから現場で徐々に子どもや地域と一体化させるそうです。初任者研修制度の問題がありましたが、こういう取り組みが多くなれば、初任者研修はいらなくなりますし、何よりも「地域との一体化」というのが実にすばらしいと感じました。

「子どもは国の宝」と言いますが、まさに「国の宝」です。1人の子どもを育てるにも、家庭・地域が一体とならなければ、全人格的な教育は施せません。学校なんていうのは、あくまでもその枠組みの中での存在でしかないわけで、学校に頼り切る今の教育の在り方そのものが、本来は誤りだと考えます。

小学校の体育館は、昔から代々続く地域にあっては「講堂」としての機能があります。
学校の体育授業に使うだけでなく、選挙の投票所になったり、町内の集会、運動会や廃品回収などのイベントに使用したり、災害時には緊急避難所としても使われます。亡くなった祖母は、小さい頃から「町のシンボル」として死ぬまで愛着があったようで、体育館を見ながら昔話をしていたものでした。

今は、ほとんど行われなくなりましたが、昔は、町内会で寄付を募り、それを原資にして学校の備品が充実されていたことが多かったですね。あと、町の有力者がポケットマネーで寄付したこともあったそうです。ちなみに、町内会やPTAで寄贈されたものは「昭和○○年○月寄贈」とありましたが、個人的に寄付したものについては、本人が嫌がって何も書かれなかったそうです。
ただ、悩みは置く場所の確保。新たに寄贈品が来るたびに、校長が「どこに置こうかなぁ」「これ以上もらったら、本当に置き場所がなくなる」と悩んでいましたね。どう考えても無理やりに置いたのがバレバレなものまでありました。(寄贈品のせいで、倉庫の扉が閉まらないなんてこともありましたね。)

私に反抗的なバカブロガーにしてみれば、それを市の怠慢だとか狙いだとか、税金で全部やるべきと妄言を吐くのでしょうが、寄贈する側は、「設備が十分・足りない」「備品が余っている・不足している」なんてことは考えていません。思い出であり愛着で、寄贈したいから寄贈した、自分たちが寄贈したもので子供たちがのびのびとしてくれるのが喜びなんですね。
置き場所に悩む学校としても、税金で必ず支給されるものではなくて、子供たちの親や地域の人たちからの寄贈品だと「これは、おじさんやおばさんが寄付してくださったものだから、大切に扱いましょう」ということで、「物の大切さ」「感謝の気持ち」を教えることもできました。

「ゆとり教育」が問題となっています。私のときは「詰め込み教育」「偏差値教育」の全盛期とも言うべき時期なんですが、私自身は「詰め込み」と思ったことは一度もありません。偏差値は気にはなっていたのは事実ですし、今の子どもたちと冷静に比較すれば、私たちの方が時間に追われていたのが「客観的事実」なのですが、感覚としては、今の子どもたちよりも、遥かにのんびりしていたと思います。
体罰も、学校教育法では禁止されており、今は大問題になっていますが、私たちのころは「当たり前」で、今の子どもたちよりも殴られていましたが、親に告げ口しようものなら、教育委員会を巻き込んだ問題や裁判になるどころか、「それはお前が悪い」と、親にトドメを刺されるように2倍になって拳が飛んできたものです。

昔は良かった、とレトロな気分になるわけじゃないですが、どこでどう混乱してきたんでしょうか。淋しくもあり、不安でもあります。
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地球温暖化の流れに逆行して、財布の中身は常に氷河期到来している、「生活は庶民以下でも、志は貴族」(←鈴木邦男氏・談)と、言える日は来ないだろうなぁ・・・。

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