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あえて言おう。橋下知事を応援するのが責務である、と。

あえて嫌われるコメントをするが、承知してもらいたい。

あの高校生を含めて、不特定多数が閲覧できる場で政治の批判をするには、相当な知識と良識、そして「清濁併せ飲む」という能力と感性、思考がなければならないということを知ったのではないだろうか。
残念ながら、橋下知事を批判したり、橋下知事に逆らった人たちは、これらについて橋下知事の足もとにも及ばない。あの高校生たちは「論外」ですらある。これらが客観的に立証されたと思わないならば、もはや主権者としての資格を剥奪されても文句を言えないことを肝に銘じるべきである。

大阪府は、本当に非常事態である。
「減債基金」は、そもそも借換債の発行を最小限にするため、年度決算の余剰を積み立てたのであって、そこから一般歳入の不足分をまかなうのは、庶民生活に例えるならば、多重債務に陥る典型的なパターンである。はっきり言って「アホな資金調達」を今までやってきたのである。
平成19年度は992億円であったわけだが、これを全額カットしきれず、「原則府債発行ゼロ」と言いながら、前年比で400億円も府債発行を増やす予算編成となった。これを「公約違反」と唱える無責任な評論家やブロガーもいるが、「それなら、お前がやってみろ」という言葉を、庶民でしかない私でも言わざるをえない。1000億のカットがどれだけ難しいことなのか、それを少しは考えるべきである。

これを言いだすと「道路やダムなどの大型公共投資をやめろ」という声は必ず上がる。
確かに「無駄な公共事業」は削減せねばならない。が、大阪府はそれを怠ったわけではない。平成7年に比べれば建設事業費は1/3にまで削減されている。人件費は多く見積もっても2割減である。

共産党の府議が「法人税の超過課税は地方交付税交付金の削減対象にならない。大企業にモノ申す勇気を持ちませんか?」と、大企業増税を唱えたが、はっきり言って「議員やめろ、このバカ」という言葉しか出てこない。橋下知事は「大企業が大阪から東京へ逃げていくのを加速するつもりですか?」というような反論をしていたが、まさに正解である。生産工場を人件費が安い中国などに移転する大企業すらある。国家主権や法制度の葛藤で、いかにコスト削減に資するとはいえ、海外移転は容易ではない。しかし、それを乗り越えて海外移転を実現してきたのも大企業である。同じ日本国内で大阪から東京に移転するなど、たやすいことであることは言うまでもない。もっといえば、本社機能そのものを移転する必要はない。「本店所在地を移転するだけ」で、法人税を「安い自治体」に移転するだけで、十分「東京に逃げた」ということが可能なのである。このことを知っていれば、あの共産党のバカ府議は、議員辞職に値する無知蒙昧の類であることは言うまでもない。

「御堂筋パレードに使うカネがあるなら、私学助成、教育費、福祉に予算を回せ」という人がいる。

福祉関連予算は「増えている」ことを忘れてはならない。一人あたりの予算は減っているが、グロスでは85億円増である。この事実をネグレクトして「福祉を削って道路を作る」というのは、嘘つき以外のなにものでもない。感情と思考の抜本的改善は、市民運動と名乗るバカどもがすべきことであって、橋下知事に反省を求める筋合いがあるものではない。

また、『賑わいのないところに人は集まらない』のも確かである。人口を増やし、企業を増やし、経済力を高めて大阪府民と大阪府を潤わすには、ある程度の「投資」も必要となる。その財源が確保できないのであれば、他から削る以外に道はない。もちろん、教育や福祉は重要であるが、その財源を確保するためには、冷え切った大阪経済を立て直す必要もある。福祉で経済が活性化する側面はないわけではないが、基本的に福祉は「利潤ゼロ」であるべき概念である。つまり、福祉によってもたらされる経済効果は「現状維持」程度であって、冷え切った大阪経済の立て直しについて「下支え」する効果はあっても「本当に立て直す施策」とはならない。教育費も今のままだと「現状維持」が精一杯である。もちろん、福祉と教育の「現状維持」のために予算を使ったのでは、「経済立て直しの原資」など確保できないのだから、「景気が悪いわぁ」という状態など永遠に解決しない。

橋下知事と討論をした高校生は「被害者」だと私は思う。これは橋下知事が害を与えたのではない。彼らをそそのかした大人たちの犠牲になったのである。これが唯一無二の真実であり、これに反論の余地は微塵もない。
本当にかわいそうだなと感じたのは、「自己責任が原則。日本を出るしかない。」という冷徹な一言を、モロに耳にしたこと。しかし、これは高校生の「自業自得」である。これをぜひとも理解して納得して欲しい。橋下知事が冷徹な一言を言った理由は「道路などにカネを使わず、教育や福祉にカネを回して欲しい」という『暴言』にある。
彼らは彼らなりの知識や考えで発言したのだろうが、あまりにも「物事を知らなさすぎ」であった。結果的には「自己中心的な利己的な思考と感情、そして発言」になってしまっている。

それはなぜか?

『自分たちが何を言っているのか、わかっているのか?』

その一言に尽きる。
道路工事をやめ、教育や福祉にカネを回されたとき、大阪府全体の住民生活は?大阪府の経済は?大阪府庁の財政は?これらをおそらくわかっていない。
問題なのは「わかっていない」ことではない。「わかってないことを自覚せず、自分たちが知事を批判する道義的な資格がないことをわかっていない」ことにある。厳しく言えば、「意見するのはまだ早い」ということだ。

彼らには「次は橋下知事に勝とう」というのではなく、「橋下批判をする人がバカなのだ」という『正解』を彼ら自身が知り、そして橋下知事を支持するまっとうな感情と思考を抱くようになってもらいたい。
これは、橋下批判の人たちの「主張」や「政策」が間違っているからではない。
高校生たちに「道路じゃなくて教育にカネを・・・」ということを発言させるという、彼らに絶対にさせてはいけないことをさせたという無責任な人間を好きになるな、というごくごく当たり前のことを述べているにすぎない。

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『福祉ゼロ社会』を目指すべし

極めて刺激的なタイトルです。
注目されたいという下心で作ったタイトルなのは疑いようがない事実ですが、まぁ、読んでやってください。




誤解を招いては困りますので、弁解しておきますが、今の社会保障・社会保険システムや福祉政策を放棄しろというのではありません。

福祉の充実と保険の適用は、不幸な状況である

これを認識すべきだということなのです。

交通事故や疾病がなく、健康で生活を営める状態であれば、保険は使いません。つまり、保険を使う状況というのは、不幸になったとき、ということです。従って、保険支出がゼロになるというのは、人々が幸せに暮らせている状態なのですから、「保険を使わずに済んだね」というのが、国民自身にとって最も好ましい、ということになります。

高齢者や身障者への福祉も、高齢者がお元気で、身障者も健常者に近い状態にまで治療ができるのであれば、そもそも「充実しなくても、問題はない」わけです。生活保護に至っては、生活の糧が安定して十分に入るのであれば、「いらない」のですから、生活保護が使われなくなるのは、国民にとって好ましいということになります。

だからといって予算を削れというのではありません。
社会保障予算が充実していれば、それだけ「早く、確実に、十分に、不幸を最小限に食い止めることができる」のですから、これを充実するのが国の責務であることは言うまでもありません。
ただ、『転ばぬ先の杖』という諺もあるように、「予防」の概念も必要です。「予防」とは「不幸な状態にならないようにする」ことですから、これにもまた、力を十分尽くすべきです。
また、予防や社会保障の充実は、安心感を与え、精神的余裕をもたらすツールにもなりますから、その意味でも予算措置は十分にするべきでしょう。

決算において「事故も疾病も少なかった。だから、今年は支出が少なかった。」というのは、国民にとって歓迎すべきことなのであって、それゆえに『福祉ゼロ社会』というのは、喜ぶべきものだと私は考えます。






もうひとつの意味としては

『弱者救済』から『仲間を増やす』

という概念にして欲しいということです。

高齢者や身障者は「身体機能のハンデがある」だけであって、人格そのものにハンデがあるわけではありません。高齢者は、それまで社会を支えてきた誇りがありますし、身障者もひとりの人間としてのプライドがあります。生活保護に至っては、それこそプライドを傷つけられるいわれ自体がない。

『弱者救済』というのは、一見、慈愛に満ちた優しさがありますが、施す側が「上から目線」だと感じます。ボランティアも含めて、「実は、自分たちが社会的弱者を最もバカにしている」ということに気づいていないのです。

『身体機能のハンデが不幸にしてある。でも、そのハンデさえ克服できれば、健常者と同じじゃないか。それだけの話だ。』という考えに転換することこそ、身障者や高齢者が最も喜ぶ待遇ではなかろうか、ということです。言葉づかいが悪いですが、「たかが目が見えないだけじゃないか、あとは俺たちと一緒だよ。そこだけカバーできれば、彼は弱者じゃない、仲間であり、先生だよ。」というマインドでの福祉政策が、盲目の方々に最も喜ばれる受け入れ方じゃないかなと思っているのです。
高齢者に至っては、それこそ戦後間もない貧しい時代から高度成長の原動力となった、バイタリティあふれる方々です。若い世代に対しては大いに学ぶところこそあれ、「お助けする」なんて失礼千万ですよ。「弱者に対する施し」ではなく「偉大な先生に対するささやかなお礼」という気持ちでやるべきなのです。
母子家庭は社会的ケアが充実すれば、ハンデなんてほとんど皆無なのであって、(あえて言いますが)この程度のことなんて、国にやる気さえあれば、予算措置も法律もほとんどいじらなくてもいい。できない方が不思議です。




日本の「福祉」の最大の欠点は、制度や予算ではなく、「コンセプト」にあります。
弱者にしなくても済む人、ちょっとしたケアで弱者ではなくなる人、これらをみんな弱者としてしまって、健常者があ~だこ~だ言っているにすぎないのです。自公も野党も、経営者も市民運動も、労働者もボランティアも、ほとんどの人たちが、私に言わせれば「お前ら、馬鹿にしてんのか?なに見下した話してんだよ?!」ということですね。

高齢者・身障者対策の基本は、私は、「福祉」ではなく「経済政策」「社会政策」「教育政策」に類すべきものであり、「高齢者や身障者へのケアは、日本国民全員の利益である」という考えの下、「不幸にして事故・疾病のときに、はじめて福祉の出番となる」概念にする。
『福祉ゼロ社会』とは、『みんなが誇りが持ちながら幸せに暮らせる。だから「必要ない」。』という意味での、前向きな社会にしていこう、という考え方なのです。

京都女子大が大阪守口市と提携

ネットサーフしていて、たまたま見かけた記事ですが、こういう取り組みはいいですね。

来年4月以降、守口市の小中学校および幼稚園で、教員志望の学生を実習やボランティア、インターンで派遣し、学生のときから現場で徐々に子どもや地域と一体化させるそうです。初任者研修制度の問題がありましたが、こういう取り組みが多くなれば、初任者研修はいらなくなりますし、何よりも「地域との一体化」というのが実にすばらしいと感じました。

「子どもは国の宝」と言いますが、まさに「国の宝」です。1人の子どもを育てるにも、家庭・地域が一体とならなければ、全人格的な教育は施せません。学校なんていうのは、あくまでもその枠組みの中での存在でしかないわけで、学校に頼り切る今の教育の在り方そのものが、本来は誤りだと考えます。

小学校の体育館は、昔から代々続く地域にあっては「講堂」としての機能があります。
学校の体育授業に使うだけでなく、選挙の投票所になったり、町内の集会、運動会や廃品回収などのイベントに使用したり、災害時には緊急避難所としても使われます。亡くなった祖母は、小さい頃から「町のシンボル」として死ぬまで愛着があったようで、体育館を見ながら昔話をしていたものでした。

今は、ほとんど行われなくなりましたが、昔は、町内会で寄付を募り、それを原資にして学校の備品が充実されていたことが多かったですね。あと、町の有力者がポケットマネーで寄付したこともあったそうです。ちなみに、町内会やPTAで寄贈されたものは「昭和○○年○月寄贈」とありましたが、個人的に寄付したものについては、本人が嫌がって何も書かれなかったそうです。
ただ、悩みは置く場所の確保。新たに寄贈品が来るたびに、校長が「どこに置こうかなぁ」「これ以上もらったら、本当に置き場所がなくなる」と悩んでいましたね。どう考えても無理やりに置いたのがバレバレなものまでありました。(寄贈品のせいで、倉庫の扉が閉まらないなんてこともありましたね。)

私に反抗的なバカブロガーにしてみれば、それを市の怠慢だとか狙いだとか、税金で全部やるべきと妄言を吐くのでしょうが、寄贈する側は、「設備が十分・足りない」「備品が余っている・不足している」なんてことは考えていません。思い出であり愛着で、寄贈したいから寄贈した、自分たちが寄贈したもので子供たちがのびのびとしてくれるのが喜びなんですね。
置き場所に悩む学校としても、税金で必ず支給されるものではなくて、子供たちの親や地域の人たちからの寄贈品だと「これは、おじさんやおばさんが寄付してくださったものだから、大切に扱いましょう」ということで、「物の大切さ」「感謝の気持ち」を教えることもできました。

「ゆとり教育」が問題となっています。私のときは「詰め込み教育」「偏差値教育」の全盛期とも言うべき時期なんですが、私自身は「詰め込み」と思ったことは一度もありません。偏差値は気にはなっていたのは事実ですし、今の子どもたちと冷静に比較すれば、私たちの方が時間に追われていたのが「客観的事実」なのですが、感覚としては、今の子どもたちよりも、遥かにのんびりしていたと思います。
体罰も、学校教育法では禁止されており、今は大問題になっていますが、私たちのころは「当たり前」で、今の子どもたちよりも殴られていましたが、親に告げ口しようものなら、教育委員会を巻き込んだ問題や裁判になるどころか、「それはお前が悪い」と、親にトドメを刺されるように2倍になって拳が飛んできたものです。

昔は良かった、とレトロな気分になるわけじゃないですが、どこでどう混乱してきたんでしょうか。淋しくもあり、不安でもあります。
プロフィール

わくわく44

Author:わくわく44
地球温暖化の流れに逆行して、財布の中身は常に氷河期到来している、「生活は庶民以下でも、志は貴族」(←鈴木邦男氏・談)と、言える日は来ないだろうなぁ・・・。

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