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私の改憲論

私は憲法改憲論者である。
個々の条項の変更を求めているのは確かだし、9条も「改憲」であるが、それは私にとってはメインでもなければ、「絶対に改正しろ」としているものでもない。
言い換えれば、「全103条、現行憲法の条文のままでも良い」というわけで、条文の改廃については、私にしてみればプライオリティが低いのである。

はっきり言えば「自主憲法制定」である。

これは、今の改憲論者が唱えている「押し付け憲法」に対するアンチテーゼでもなければ、「現行憲法は日本人の自主憲法ではない」という考えが根底にあるという意味でもない。
現行憲法が「押し付け」か「自主憲法」か、そんなものは、はっきり言って意味がない。中身が良いか悪いかに、押し付けかどうかなど関係はない。もっといえば、中身がよく国民が満足しているのであれば、ハーグ陸戦協定に違反しようがしまいが、現行憲法であっても私は問題があるとは思わない。


私が問題視しているのは、次の通りである。

1.果たして国民は、自分が主権者だという認識を持っているのか。
2.「主権」とは何か、ということを理解できているのか。
3.「権利」と「自由」の意義と意味を理解できているのか。
4.われわれが委ねている「国家」の存在意義は何か、という共通認識があるのか。


私が問題にすべきだと認識しているのは、「絹布の法被」という明治憲法制定のときの感覚で、日本国憲法を「戴いた」という情けない主権者に成り下がっていやしないか?というところである。

伊吹文明氏が「人権メタボ」と述べたが、これは間違っている。
『日本人は、人権ではないものを人権と思いこみ、そしてそれを暴飲暴食してきた』
これが最も正しい表現である。
ライブドア事件、村上ファンド事件、援助交際、日の丸君が代に対する反発意識、北巣本保育園での代執行への抗議、イラク人質事件への人質家族バッシングへの批判・・・。
「お客様は神様です」「言ってることは正しいが、あいつが言うのは気に食わない」「正しいことを言っているけど、好意を抱けない、尊敬できない」
こんな感性や思考、行動の連中が「人権」を唱えることほど、「人権」を冒涜している状況はない。
こんなことを書けば、私もおそらく批判や非難の的にされるであろう。もっとも、この文章を閲覧して私を批判したり非難する感情や思考を抱くことこそが、「日本人に人権とは、豚に真珠である」「人権を獲得するために命を賭けた人たちに顔向けできない、バカな国民」と、客観的見地に立てば、断言しなければならない事態に陥っているのである。

リンカーンのゲティスバーグの演説を見よ、ケネディの演説を見よ。
日本国民にとって、日本国民の納税・教育・勤労・兵役は「日本国民に対する義務であり責任である」。「日本国家に対する権利である」。この文章が理解できないうちは、日本国憲法を制定する意味などない。

「日本国民自身が悩み、苦しみ、考え、歩んできた自主憲法」を、早く作るべきである。条文そのものは現行憲法でも構わない。大切なのは、何に好意を抱き、何を嫌悪し、何を尊重し、何を侮蔑するか、という「正しい感情と思考、そして行動をすること」である。
これができないうちは、基本的人権を認めるなんて愚かなことはしないことだ。江戸時代の身分制社会に戻すのが、人類のためであり、「自由」のために命を賭けた人たちへの礼儀である。
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わくわく44

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地球温暖化の流れに逆行して、財布の中身は常に氷河期到来している、「生活は庶民以下でも、志は貴族」(←鈴木邦男氏・談)と、言える日は来ないだろうなぁ・・・。

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