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「親日」の国は、独立国ですよ!

先日、遊漁船「聯合号」への海上保安庁巡視船衝突事故がありました。台湾内部で日本側への非難が高まり、外務省は在台日本人に対して、異例の「在留邦人への注意喚起」が出されました。
私は生粋の日本人であり、日本国民ですから、尖閣諸島は日本領だと思っています。だからといって、台湾人が尖閣諸島を台湾領だと思っていることについて批判も非難するつもりはありません、むしろ当然のことだと思っています。

尖閣諸島の領有権問題、これは、何も日本と中国本土のみの問題ではなく、台湾も絡んでいます。
国家の基礎は、「人民・領土・主権」ですから、「領土」は非常にデリケートな話であるのみならず、どこかを譲れば他で係争している地域に関しても不利な外交を余儀なくされるわけで、元々難しいものなのです。
そもそも、北京と台北は、以前は「正統政府」の座を争っていたわけで、一方との国交樹立は他方の国交断絶を意味していました。言い換えれば、台湾にしても、「中国全土を代表して国益を主張する」という立場であった以上、「日本と中国との領土問題」たる尖閣諸島問題は、双方とも「日本領ではない」という主張になるのは当然のことです。

今回の件において領土問題が浮上したのは、普通に国際感覚があれば、別に危機的状況でも何でもないのですが、今まで「台湾は極めて親日的」という「イメージ」と「実績」に甘えていた日本人にとっては、かなり衝撃的だったことでしょう。

台湾人の「親日」に対する認識を、日本人はもっと謙虚に受け止める必要があると思います。

台湾は、1895年の日清戦争講和条約『下関条約』で、日本に割譲され、その後台湾総督府を設置し、1945年に無条件降伏して施政権を喪失、1952年4月28日の『サンフランシスコ平和条約』で正式に領有権も喪失しました。一方、中国サイドからみると、1945年の終戦の後、再び国共内戦が勃発し、1949年、国民政府軍が共産軍に追われて台湾に逃亡。そこで政府機能を構築し、今日に至っています。と、ここまでは教科書レベルの歴史ですね。

日本の統治は50年にわたっていますが、もちろん、日本人とのいろんな差別はあります。戦争末期になるまで選挙権もなければ、賃金もかなりの差がついていましたし、日本人が台湾人を抑圧していたり、台湾人の無権利状態に等しい待遇も事実ですから、原住民からすれば「侵略」という評価になっても、いささかも不思議ではないことは否定できません。
しかし、そもそも割譲されたときは、清ですら「化外の地」として、まともに統治権を行使せず、インフラも産業もロクにない状態だったわけです。その「化外の地」の台湾に、インフラを整備し、衛生状態を改善させ、教育を普及し、産業を勃興し、投資を促進して、原住民にもその恩恵を享受させ、清が統治権を持っていた時代よりも台湾人自身が豊かになった面は、たとえ動機がどうであれ、これもまた事実なわけです。その状態を作り上げ、統治期間が50年という長さであったことは、自ずから「親日感情」が生まれるひとつの動機になっている。李登輝元総統は、京都大学で学んでいますが、李登輝氏が学生だった頃は、日本人ですら、大学進学は5%にもならない超エリート(『学士様』という言葉があるぐらいですから)だったわけで、当然「親日」の動機となる。これらもまた、事実なのです。

そして、台湾人は日本の統治が終わった後に、さらにとんでもない悲劇が襲うことになります。
国共内戦で敗北した国民政府が台湾を統治するにあたり、日本的なものを徹底的に排斥したのみならず、本土からの移住者は現地人に対して、日本とは比較にならない抑圧・弾圧・強圧・暴力を振りまくことになります。それが原因で起こったのが「228事件」と呼ばれるものですが、それ以来1987年まで台湾は戒厳令が敷かれていたのです。もちろん、その間にも、国民政府は「反日教育」を徹底して行います。(反日教育という点では、中国本土と台湾は、以前は、それほど差がないといってもいいでしょう。)

日本も台湾に対しては、差別や抑圧はしていましたが、さすがに国民政府ほど過酷なものでもなく、また、40年も戒厳令を敷くなんてことはしません。また、台湾人も、日本統治下は案外自由でもあり、概ね不満を抱かせるようなことはなかったそうです。
台湾が「親日」というのは、そうした土壌があってのことで、決して誉められるような統治を日本がしていたわけでもなければ、台湾人は台湾人としてのアイデンティティがあり、その範囲の中での「日本が好き」ということでしかないことは、肝に銘じておかねばならないでしょう。

こう書くと勘違いされる方がいるので、一応書いておきますが、だからといって、台湾人を警戒せよとか、疑えというのではありません。「好意に甘えるな。彼らの立場を考えるのが、本当の友好的態度なのだ。わがままな感情は厳に慎め。」ということを言いたいのです。

最近、台湾は国民党が再び政権を取り戻し、馬英九総統とは立場を異にする許世楷氏が台北駐日経済文化代表処代表が辞任することになったわけですが、その前にこの件に関して「召喚」されたときに、日本擁護と捉えかねないことを述べたということでかなり攻撃されたそうです。
許世楷氏が「親日」かどうかは、許世楷氏の内心の話なので、私がとやかく言うのは失礼でしょう。また、国交がないとはいえ、事実上の「総領事」なのですから、個人的な信条で仕事をしていたのではないと勝手に定義します。

その上で申せば、許世楷氏は、何も日本に媚びたのではなく、「日台関係を悪化させないように解決する」ということで、いろんな根回しを行ったという意味で、国民党が求める動きをしなかったんだと思います。国民党のやり方は、下手をすれば戦争に発展しかねないやり方です。もし軍艦を1隻でも派遣しようものなら、日本側も護衛艦を派遣せざるを得ない。そうなれば、一触即発の事態にまで発展していたことでしょう。それを未然に防いだという意味において、氏の行動は評価されてしかるべきではないでしょうか。ただし、許世楷氏は、台湾の国益のための行動をしたのであって、日本のために動いたわけではない、というのは、忘れてはいけないと思います。

タイミングもよく、穏便な解決で事態に終止符が打たれることになりましたから、これで事件は収束そうです。おそらく、台湾における「反日」も沈静化していくことでしょう。

ただし、前述したように、領土問題は国家の存立基盤の中でも最重要な基盤に関わる話ですから、それ自体が今回で解決したわけではありません。いくら「日台友好」、「台湾は親日の中の親日だ」といっても、こればかりはデリケートな話であることは、我々も肝に銘じておくべきです。お互いにみっともないことをしないように、という意味で。



そして、私は、今回の件があったにせよ


台湾のWHO正式加盟


台湾の国連オブザーバー参加


この2つを曲げる気は微塵もありません。
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沖縄・・・執念のサミット開催

これは、あくまでもフィクションです。





2007年。アメリカで行われた「2+2」会談。
沖縄の米軍基地をグアムに移転することについて、ここで話し合いが行われた。

「もし、あの方が総理として生きておわせば・・・。」




1998年7月30日。この物語の主役となる一人の男が、内閣総理大臣に就任した。

小渕恵三。

「平成のおじさん」として官房長官時代に「平成」と書かれた額を持って記者会見に臨んだ自民党竹下派七奉行のひとりである。

小沢一郎、橋本龍太郎、菅直人、野中広務、鳩山由紀夫、河野洋平、宮沢喜一・・・。誰がどう見ても、彼らには人気、実力、知名度・・・どれも、はしごをかけたって届かない、おそらく届くことなどありえない、まさに「凡人」という称号にふさわしい政治家である。

選挙は常に楽なものではなかった。

同じ群馬には、福田赳夫、中曽根康弘といった、それこそ「歴史に残る超大物」に挟まれた、地味で「月見草」と呼ばれた選挙だらけであった。

党内でも磐石とは言いがたい状況であった。

橋本後継の総裁選、同じ派閥の有力議員が離脱して出馬。三つ巴の戦いを制したものの、最大派閥の領袖であるにも関わらず、知名度も乏しく、権力も奪われた、「人柄の良さ」だけで御輿に乗せられただけの総理には、期待するほどのものはない。総裁の座も総理の椅子も、最大派閥の実力者による「御輿」でしかなかった。

国会でも苦戦は続く。

進歩的文化人と呼ばれる人たちからの、「天下の奇観」、「あんな顔を毎日見なければならないかと思うとウンザリする」とまで言われる、この始末。就任早々から「一刻も早く退陣を」などと書きたてた新聞すらあった。
誰もが歓迎しない総理大臣に追い討ちをかけるように、参議院で与野党が逆転している「ねじれ」が発生。このため、金融再生法は、世論を背景に評価された民主党案を丸呑みせざるを得なかった。
政権安定のためには、幹事長をして「悪魔と手を握る」と自由党と連立を結んだ。後に自らの寿命を縮める「裏切り」があることを、当時、予測していたのかどうか・・・そんなことは、今でも定かではない。




話は、総理になるさらに40年前の、早稲田の学生時代。
当時から観光の名所として人気があった沖縄へ、彼もまた、旅行した。きっと、沖縄で常夏の海でも満喫しようとしていたに違いない。

あの悲惨な3年8ヶ月の戦争は、この『沖縄』だけは、今もなお続いていた。
高等弁務官の絶大な権力を背景にした、米軍の勝手気ままな土地収用や殺人演習に、沖縄の住民は苦しんだ。治外法権に置かれた米軍人の犯罪を、琉球政府が取り締まることなど絶対にできない。
ひとりの青年の目の前にある、「青い海、白い砂浜」の「沖縄」は、「檻のない監獄」のような「OKINAWA」であった。現実を突きつけられたひとりの青年の心に刻まれた、小さくて、でもとても大きな執念・・・。

『ここにアイツを呼んでやる。何がなんでも見てもらう。アイツを絶対、ここに呼ぶんだ・・・。』




1998年7月30日。齢60を直前にして指名された「内閣総理大臣」。
運命は彼に「サミット」を託した。

念願を実現する「壁」は、まさに「難攻不落」の鉄壁である。
この「壁」を崩すのは生易しいことではない。だから、なんでもやった。どんなに陰口を叩かれようと、どんなに見下されようと、どんなに惨めな姿を晒しても、そして、どんなにプライドが傷つく酷評が残ろうとも、できることは全部やった。
「二千円札」「地域振興券」「アホーマンス」「冷めたピザ」「ゼロ金利」、極めつけは「日本一の借金王」と自嘲した無駄な公共事業と国債の乱発。衆議院議員選挙における比例代表議席数も、自由党案を丸呑みした。アメリカからの要求だって、民主党の法案だって丸呑みだ。総工費700億という新首相官邸も建設開始。政官業の癒着が何だ、いくらだってやってやるよ。

後ろ指など何度差されたかわからない。いや、「後ろ指」どころか「権力とカネの亡者」そのものとしか、国民の目には映らない。それでも、やれることは全部やった。すべては2年後、あの『沖縄』の姿を世界の60億人の眼に焼き付ける、ただそのために。




1999年4月29日、沖縄でサミット開催することが決定された。
新聞は「久々に政治をみた」と評した。あとは、来年の7月、ホスト国の議長として、自分自身があの大統領に、膨大な土地を占有された米軍基地を持つこの「沖縄」に、この手で呼ぶ。ようやくここまでやってきた。

それから1年。相変わらず政権は不安定であった。
自民党総裁選、無投票当選にこだわる小渕の前に、2人の派閥の領袖が反旗を翻す。「ブッチフォン」で「ズームイン朝」や「サンデー・プロジェクト」の電撃電話生出演をし、相変わらず「アホーマンス」は続く。サミットは「無駄な公共事業をしているだけ」というマスコミ批判も散見する。公明党との連立政権を余儀なくされた。これが今日まで8年もの歳月にわたる「自公連立政権」のスタートでもあった。まさに、「がけっぷち」総理にふさわしい、威厳のない姿を見せ続けていた。




2000年4月2日。
自由党が政権からの離脱が決定的となった。さらに困難な政権運営を余儀なくされることになる。事態打開の策を講じるために、これから官邸を出なければならない。

記者に囲まれて首相官邸を出るひとりの男。いつもとは何かが違う。

「冷めたピザ」と揶揄され、「凡人」と言われた『ただの男』の眼ではない。
「株あがれ!」「日本一の借金王」と蔑まれる『無能な政治家』の背中でもない。


記者に囲まれたひとりの男の名は


『日本国第84代内閣総理大臣 小渕恵三』


「あの日から40年。いろんなことがあった。とても見苦しかった。世間から嘲り笑われた。とても自慢できる人生なんかじゃない。だから何だというのだ。あと少しで、あの「沖縄」に世界最高の権力者を呼ぶんだ。世界の警察官に、あの青い目であの苦しさと悔しさをじっくり味わってもらうんだ。こんなつまらん政局ごときに、言葉なんてあるものか。さぁ、記者諸君、そこをどきたまえ。」


決意を秘めた背中とはうらはらに、身体はもう、限界を超えていた。

2000年5月14日16時7分。


『君は、早稲田大学雄弁会に属していたが、決して多弁ではなかった。でも、朴訥な語りは、人々の心にしみ込む独特な説得力があった。もしも君が沖縄サミットを主催していたら、ホスト国の首相にもかかわらず、かなり控え目に沖縄を語ったことでありましょう。だが、君ならそれで十分だった。君の含羞を帯びた語りは、何物にも増して説得力を持ち、君は存在そのものが雄弁だった。そんな君の姿を見ながら、多くの国民は沖縄の痛みを改めて自分の痛みと感じたに違いない。』(村山富市)




2007年、いわゆる「2+2」会談で沖縄の米軍基地をグアムに移転するロードマップについて話し合われた。そこで浮かびだした日本側の多大な負担。しかし、まだ「解決」したわけではない。

小渕恵三、あなたがもし、内閣総理大臣として生きておわせば・・・。


(文章中:敬称略)

北朝鮮経済制裁-日本だけでもやれ。

アメリカが北朝鮮の経済制裁を解除するという発表があった。
アメリカの最重要関心事は「核とミサイル」であったため、これが解決のメドでもつけば、そうなることは想像に難くないので、私は特に驚きでも何でもなかった。

日本の拉致問題解決まで、アメリカの経済制裁解除を延期して欲しいという拉致被害者家族等の願いは、私は感情的には理解できるところではあるが、残念ながら、アメリカのみならず、韓国にしても、そして日本にしても、本来の最重要事項は「核とミサイル」だったのであって、拉致は、被害者とそのご家族には大変申し訳ないが、その次の事項とならざるを得ない。これは、「数十人の拉致被害者のために、1億2000万人の生命と財産を危機に陥れるわけにはいかない」がゆえのことであって、私自身、痛恨の極みではあるが、涙を呑んでそう言わざるを得ないのである。

アメリカがテロ国家指定を解除したとき、北朝鮮にどんなメリットが生じるのか。

世界銀行からの融資を受けやすくなることは、先にあげられる。しかし、世界銀行の大株主は日本であるだけでなく、融資を実行するには、返済の見通しを立てなければならないのだが、北朝鮮は肝心の情報まで秘匿している。また、債務保証の問題も発生するが、日本はこれを受け付けることはないため、実際に融資が行われる可能性は極めて低い。韓国と中国については、中国は消極的であろうし、韓国も大統領が変わったことで受けないであろう。このため、現実的には、経済制裁を受ける前後でほとんど変化はないと思われる。

輸出入の制限解除も考えられる。国連決議による制裁については、中国が裏ルートで交易をしており、ほとんど効果がなかったといわれている。また、核開発に関する約束など北朝鮮はしていないため、実際には核問題は解決していない。NPTから脱退している北朝鮮がIAEAの核査察を受ける気配がないのは当然であるが、何らかの形での調査を行うまでは、アメリカは自由貿易を北朝鮮には認めることはないと思われる。

米朝国交正常化については、今現在の段階では考えられない。アメリカは北朝鮮だけでなく、イランの核問題にも関心を払っており、そのイランが核実験を強行した以上、北朝鮮が本格的に核開発を中止し、調査による証明ができない状態では、国交正常化の「交渉」はしても、実際に国交が成立されることは考えにくい。

以上のことから、アメリカの北朝鮮に対するテロ国家指定解除は、「手綱を緩めた」というアナウンス以上の効果は、私には考えにくい。

拉致問題について言えば、日本政府内の「声」が小さいことが、世界が動かない最大の原因であることを、われわれはもっと知らなければならないであろう。テロを容認するわけではないが、『加藤紘一氏のような発言をした人は命が危ない』というところまでのナーバスな問題にならなければ、世界に与えるインパクトは弱いと思う。(だからといって、加藤氏を暗殺して良い、ということではない。あくまでも、「それだけ思考自体が許されない」という社会状況になることが必要、という話である。)

これを述べれば、北朝鮮との国交正常化により、自由往来ができる状態にすればよい、北朝鮮当局と連携できる状態にして解決すればよい、という妄言が出てくる。
これがなぜ「妄言」と断言するのかといえば、「妄言」以外に適切な日本語がないからである。
北朝鮮と国交を結んでいる国は150ほどあるが、国交を締結していたビルマのラングーンで爆破事件を起こしたことがあり、北朝鮮との国交正常化が日朝間の問題解決に前進すると思考するのは早計に過ぎる。
また、在ピョンヤン外国大使館の外交官は、北朝鮮国内の旅行が、北朝鮮当局の許可制であって、自由旅行を認められていないのである。場合によっては北朝鮮の役人が同伴する。こんな状態での「自由往来」などありえず、従って、捜索も不可能なのである。

そもそも経済制裁自体は、前述の事情により、日本が独自で行っても効果そのものは期待できない。現に中国ルートで日本製品が北朝鮮に流れており、事実上制裁していないのと同じである。しかし、これを緩めることは、「メッセージ」としてマイナスである。あくまでも直接取引を一切しない、というスタンスをとり続けなければ、それこそ拉致問題はウヤムヤのうちに終わってしまうであろう。

これを言い出せば、人道上の理由で経済制裁に反対するバカが出てくる。現在、取引額が高いために、日本はミャンマーの軍事政権に対して何ら措置を講じていないと誤解している人がいるが、日本はミャンマーについては経済制裁を継続中である。取引額は、ほとんどが人道上の援助の金額であって、それ以外の流れはない。ただ、中国以外は、日本ぐらいしかミャンマーにカネを流していないために、ミャンマーを起点としたカネの流れで日本が上位になっているに過ぎないのである。つまり、北朝鮮への経済制裁は、人道支援まで停止することを意味するものではない。

また、「経済制裁の次は戦争である。現に、北朝鮮は宣戦布告とみなすと言明している。」として反対するバカもいる。経済制裁といえども段階はある。日本が現在行っている制裁は、軍艦を派遣して船舶の往来を公海上で阻止するような、キューバ危機のようなものではない。あくまでも北朝鮮籍の船舶入港禁止・北朝鮮国籍の上陸禁止、指定品目の直接輸出の禁止等だけであって、ABCD包囲網のようなものでもなければ、中国韓国への働きかけすらしていないわけで、戦争につながる経済制裁はしていない。
第一、北朝鮮が一方的に宣戦布告とみなすと宣言しようが、日本が軍事力による威嚇をしない限りは、自衛権発動の正当な根拠となりえず、そんな状態での北朝鮮側の武力攻撃は明らかに「北朝鮮側の侵略行為」として国際法では処理されるであろうし、それこそ安保理において「第7章に基づくあらゆる行為」の決議がなされ、多国籍軍を編成されてアメリカ等の全面攻撃を受けることになると思われる。

アメリカが北朝鮮の日本侵攻による本格的軍事介入はありうるか?
「確実にある」ということがいえると考える。単純に日米安保があるからではない。アメリカの対中外交において、「嫌なら、北朝鮮の武力攻撃を中止させ、日本へ謝罪と補償をせよ」と、水面下で中国に要求することができるのである。中国は、飲まなければ、中国への国際的非難の「口実」となる。飲んでも北朝鮮が中国の要求を受け入れなければ、中国のアジアにおける影響力のなさを国際的に示すことになり、相対的に中国の地位が低下する。仮に中国が飲んで北朝鮮が中国の圧力に屈しても、「北朝鮮は日本を不法に武力攻撃を行った」という『事実』は、有力な外交カードとなってしまう。

また、アメリカが怖れるのは「核ドミノ」である。日本はNPT加盟の非核保有国の中で、唯一、国内でプルトニウム再処理技術を有しており、宇宙ロケットも巡航ミサイルも独自開発をした国である。米軍の軍事技術自身、日本の技術がないと成立しないという高度な技術国家である。もし、日米安保を発動しないとなれば、「アメリカの傘の下」が機能しないということで、日本に核武装の口実を与える。仮に日本が核武装をしないにしても、国際社会に対して「アメリカは、必ずしも軍事同盟を守るわけではない」というメッセージそのものが、核ドミノを誘発する原因となる。このため、アメリカは日本を守らなければならないのである。

そもそも、北朝鮮は日本との戦争を望まない。北朝鮮の経済は極度に逼迫しており、日本と直接取引を行うことをエサにして、日本からの経済援助を引き出したいのは本音である。
このような状態で、日本が北朝鮮へ経済制裁を継続したとしても、北朝鮮が何を言おうが武力攻撃は「ない」。前述したが、日本単独での経済制裁は、北朝鮮にはあまり影響はない。しかし、アメリカが経済制裁を解除しようが、日本は日本人に対する拉致問題での「怒り」を表明しなければ、今度は日本自身が、日本国民を保護しない国として、国民にも国際社会にもみなされることなるわけで、経済制裁は今後も継続すべきだと私は思考する。

ただし、日米が共同して「鞭」ばかりでも話は進展しないのもまた事実である。核とミサイルの問題は日本人1億2000万人の生命財産に関わる話である。これはこれで処理しなければならず、日本が拉致問題で経済制裁解除という「アメ」を与えることができないというのであれば、アメリカが「アメ」を与える役目になる。その上で、日本は「あくまでも日本は、拉致も重要な問題である」というスタンスで強硬姿勢で臨み、日米共同で「アメとムチ」を北朝鮮に与えるのがベターなんだろうと、私は思考している。
プロフィール

わくわく44

Author:わくわく44
地球温暖化の流れに逆行して、財布の中身は常に氷河期到来している、「生活は庶民以下でも、志は貴族」(←鈴木邦男氏・談)と、言える日は来ないだろうなぁ・・・。

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