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NHK、またやらかしたか・・・。

どうもこうも、NHKがおかしい。

橋下大阪府知事の事件ですが、遅刻の経緯はともかくとして、あのアナウンサーの「30分遅刻ですね」はあまりに失礼です。相手は大阪府知事、いつイレギュラーな公務が入るかわからない、遅刻程度は「想定の範囲内」の相手に対して「遅刻ですね」はいただけない。「ご多忙のところ、ありがとうございます。」が挨拶の常識でしょう。橋下知事は「遅れて申し訳ございません。」と挨拶しているのにも関わらず。
こう書けば、「いや、元々公務ではない仕事を入れた」だとか、「アナウンサーは皮肉ったのだ」だとか、そういう反論がくるでしょう。しかし、このような感情は一切の正当性を持ちません。おそらく「橋下憎し」での感情なのでしょうが、これがきっと自分たちの支持する人が知事であれば、NHKへの憎悪を抱いていたと断言せざるをえない下劣な感情だからです。

岩国でも井原前市長が敗北し、東京では石原知事が三選。全体的に自公側の議席は減りましたが、注目の選挙は、すべて私へ嫌悪感を抱く愚か者たちが支持する人が落選しているわけですが、なぜ自分たちの支持する人が落選するのか、私への嫌悪感や拒絶を真摯に反省し、感情と態度を改めない限り、その理由を理解することは永遠にないでしょう。
誤解を招いてはいけないので、言っておきますが、私は岩国市長選挙で福田氏当選を期待していたわけではありませんし、井原氏落選を希望していたわけではありません。東京については、石原氏よりは浅野氏に期待をしていたので、むしろあの選挙結果は残念だなと感じています。


ところで、NHKが「やらかした」事件としては、NHK大河ドラマ「篤姫」で、島津家発祥の地について、鹿児島県出水市と放映したことに関して、宮崎県都城市が異議を唱えたという事件がありましたね。
元々島津氏は、鎌倉時代に守護として薩摩・大隈あたりに来た鎌倉幕府の御家人ですが、今から800年ぐらい前の話ですから、アバウトであることは間違いありません。「発祥の地と言われいてる」というような感じで、出水と都城を両論併記で放映していれば、と思いますが、このあたりもNHKは不感症になったのか、注意不足でしたね。

ちなみに、島津=薩摩・鹿児島というイメージが全国的には多いですが、江戸時代の薩摩藩77万石とは、薩摩・大隈・日向の一部と琉球を合算したものであって、薩摩と大隈だけではありません。鹿児島県・沖縄県と宮崎県の一部を支配していたのです。関が原の戦いで西軍になった大名の中で、唯一領地を削られなかった大名として、幕末まで続いています。


余談ですが、歴史については、結構、誤解があります。

「三本の矢」で有名な毛利氏は、広島城や吉田郡山城、長州藩としての萩が本拠地として有名ですが、元々は相模に「毛利荘」という荘園があったそうです。そこが発祥地と言われています。大江広元の子孫である毛利季光という御家人が、鎌倉時代に評定衆となっています。宝治合戦において、三浦氏に加担して敗北し、季光自身は戦死か自害をしたわけですが、その子孫が相模から落ち延びたといわれています。つまり、毛利は元々は神奈川の人、ということになります。

鎌倉幕府の「執権」は、御家人の「主人」ではありません。「主君」はあくまでも「鎌倉殿」であって、執権は、御家人の中で相対的に最も高い地位というだけの話です。
NHK大河ドラマで「北条時宗」がありましたが、時宗の妻の兄である安達泰盛との関係は、公式の場では「執権と評定衆」で、時宗が上座でしたが、プライベートでは泰盛が時宗の上座になります。もっとも、泰盛は、元寇のときに「恩賞奉行」でした。「御恩と奉公」で成立していた鎌倉幕府において、「恩賞」の権限は至上のものであり、これを担当したということは、「執権を凌ぐ最高権力者として君臨した」ということになります。つまり、元寇が終わった後、北条時宗が執権であった時期の鎌倉幕府の最高権力者は、北条時宗ではなく、安達泰盛だったのです。足利尊氏も地位は高く、妻の兄である最後の執権北条守時との関係では、「義理の兄弟」という意味での上下であって、主君と家来の関係の上下ではありません。従って、守時と尊氏の関係については、プライベートでの用事があれば、守時が尊氏の邸宅を訪れることになります。そもそも公式の場合は、邸宅ではなく侍所等の「役所」に呼ぶだけです。

室町幕府最後の将軍、足利義昭は、室町幕府が滅びた後も「征夷大将軍」でした。豊臣秀吉の「文禄慶長の役」のとき、九州に陣を構えています。死去は1597年で、これは秀吉が死去する前年のことです。

江戸幕府の序列は石高ではなく、官位です。『忠臣蔵』で有名な浅野内匠頭と吉良上野介との関係は、5万石の大名である浅野が、なぜ3000石の旗本である吉良に頭を下げたのかといえば、従五位下である浅野に対して、吉良は従四位上だったからなんですね。

参勤交代も、譜代や中小の外様大名は「将軍の家来」のような扱いでの参勤交代でしたが、前田、島津、伊達といった外様の大大名になれば、「客分」としての扱いだったそうです。これら外様の大大名が参勤交代で江戸に来たときは、老中が大名を訪問して挨拶していたそうです。

もっと探れば、もっとおもしろくなります、歴史は。
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地球温暖化の流れに逆行して、財布の中身は常に氷河期到来している、「生活は庶民以下でも、志は貴族」(←鈴木邦男氏・談)と、言える日は来ないだろうなぁ・・・。

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