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新年の初タイトル、こんなにぬる~~いです。

2010年、来年は「戦争開始60年」となる年なので、思い切って歴史にIFという禁じ手をやらかそうと、新年早々、ロクなことをブログにしない私なのであります。

ぬる~~いタイトルなので、ぬる~~く読んでください。






第40代内閣総理大臣 東條英機

太平洋戦争を開始した首相として、世界的にあまりにも有名なこの首相は、近年、その性格について「善の部分」を論じられるようになってきたが、私はそんな善悪論には与しない。
私がこの元首相を評価するとき、東條英機とは、職務に極めて忠実であって、典型的な官僚タイプの男であり、現代ならば霞が関のキャリア官僚としてある程度の地位にまで昇進し、定年前に天下り法人に天下って余生を送る。そういう人物だと考えている。

第3次近衛内閣の陸軍大臣当時、東條英機は対米開戦に積極的であった。このために近衛内閣は倒れることになるが、東條英機が個人的に開戦論であったという断言は難しい。
ただ、反対論であるならば、政府大本営連絡会議で行き詰ったときに「最後のカード」を切ってでも開戦を回避しただろうから、反対論では決してない。
しかし、陸軍大臣当時の言説と総理就任時の言説はかなり違っている。日米交渉の期日を1日でも伸ばそうとした形跡が、「杉山メモ」などに残っている。(A級戦犯として同じく起訴された東郷茂徳外務大臣や賀屋興宣大蔵大臣などは、日米開戦に激しく抵抗しているわけで、軍部相手に戦おうとした文官は、あの時代にあっても「少なくない」ということはいえる。)このきっかけは、一説には、昭和天皇の意思を政策に反映することにあったということも言われているが、私はその根拠となる文献等を知らないので、あくまでも仮に、ということでいえば、「陸軍の代表としての発言」と「内閣総理大臣としての発言」に矛盾は、まさに東條英機が典型的な官僚であって、己の仕事に忠実であったというところに、A級戦犯、それも、巨悪の根源との扱いを受けた不幸の原因なんだろうと思考する。

ちなみに、陸軍大学校は、今でいえば東大や京大に匹敵する難易度であって、その下の陸軍士官学校も、今でいえば国立大学の教養課程レベルであり、歴史に「バカ」で悪名高い将校であっても、現在に生きるほとんどの人たちは、彼らを批判する権利はあるが、バカにする自由は微塵もない、ということを肝に銘じる義務と責任があると断言する。






のっけから、ぬる~~いとは言えない文章が並んだが、次はぬる~~いファンタジーである。

もし、こんな内閣なら日米戦争は回避できた、という『妄想内閣の組閣』を行うというのが、今回の趣旨。
人事案に異論反論があるどころか、人物評をボロクソに言われるかも、という脂汗が滲むことを並べ立てるので、ツッコミをよろしくお願いしますね。

ただし、次の条件を前提とします。

1.想定時期は、1940年9月23日北部仏印進駐の日。(それ以後は、「恒久的な解決」を、日本側の国益を喪失せずに果たせたかどうか、私には自信がないために、これをタイムリミットにしたい。)
2.当時有効だった各種法規をできるだけ遵守します。また、大日本帝国憲法の規定には絶対に従うものとします。
3.皇族内閣にはしません。
4.軍部大臣現役武官制なのですが、人材がいないときは、陸海軍大臣は現役に戻します。






内閣総理大臣  若槻 礼次郎 元首相・男爵
外務大臣    幣原 喜重郎 元外相・男爵
内務大臣    宇垣 一成  元陸相・予備役陸軍大将
大蔵大臣    小倉 正恒  住友合資会社総理事
陸軍大臣    阿部 信行  元首相・元陸相・予備役陸軍大将(現役復帰)
海軍大臣    岡田 啓介  元首相・予備役海軍大将(現役復帰)
司法大臣    小原 直   元司法次官・千葉地方裁判所検事
文部大臣    安倍 能成  法政大学教授・京城帝国大学教授
農林大臣    石黒 忠篤  元農林次官・農村厚生協会会長・産業組合中央金庫理事長
商工大臣    小林 一三  阪神急行電鉄社長・阪急百貨店社長・東京電燈社長
逓信大臣    松前 重義  逓信省高等技官
鉄道大臣    八田 嘉明  元鉄道次官・日本商工会議所会頭・東武鉄道社長
拓務大臣    石渡 荘太郎 元蔵相・元内閣書記官長
厚生大臣    小泉 親彦  陸軍軍医中将

企画院総裁   賀屋 興宣  元蔵相・北支那開発社長
国務大臣    広田 弘毅  元首相・元外相

参謀総長    松井 石根  中支那方面軍司令官・陸軍大将
軍令部総長   米内 光政  元首相・元海相(現役復帰)


統帥部にありながら、最も中国に利益がある講和条件を提示し、なんとか日中戦争を終わらせようとした多田駿陸軍大将や、海軍のエリートでありながら軍事費削減と農村救援を希望していた堀梯吉陸軍中将、対米戦争猛反対の連合艦隊司令長官の山本五十六海軍中将を入れたかったが、いずれも『大臣として強い行動に出られない立場』であったので、今回は断念した。






文官が首相であって欲しいと願う私は、どうしても「軍歴がない」「政党人」という基準で首相を探してしまう。若槻礼次郎は、年齢的に不安があるが、後の鈴木貫太郎の例にもあるように、国家の非常事態であるため、ここは出馬をお願いしたいところ。強力なリーダーシップを発揮するには、「元首相」としての実績があることも条件であり、ロンドン海軍軍縮条約を締結し、幣原外交をバックアップしてきた若槻礼次郎にしたい。仮に若槻が実権を握っていれば、「大政翼賛会」も、近衛文麿のお遊びで終わっていたと思うのは私だけだろうか。

外務大臣は、幣原外交で有名な幣原喜重郎が最も適任だと思う。幣原が大臣になれば、広田弘毅・吉田茂コンビが十分に行動でき、大島浩や松岡洋右が出しゃばることはないだろう。また、野村吉三郎も外務大臣として候補にあげたが、フランクリン・ルーズベルトとの親交があることから、やはり駐米大使として赴任してもらいたいと思った。

内務大臣に宇垣一成を掲げたのは、4つの意味がある。1つめは「宇垣軍縮」という「量から質への転換」を行い、『科学の大切さ』を自覚できていることから、理論的な国政を意識できる人であること。2つめは、元軍人でありながら、「唯一、朝鮮人に貢献した朝鮮総督」という評判があるように、内政面の充実をしっかりとわかっており、かつ、それを本当に実行した人であること。3つめは、一時期は首相候補にもなり、終戦時にも首相候補となったほど「政治家」として評価できる人であること。最後に「元陸軍大臣」と、予備役とはいえ「陸軍大将」ということから、憲兵が警察の権限を犯すことを防ぐバックとしての『肩書』があること。

大蔵大臣は迷いに迷ったが、小倉正恒。世の流れに抗しきれない経済財政政策をとったが、元来は自由主義経済論者であり、統制経済には反対の人であったことから、首相が元蔵相で英米協調主義の若槻であり、軍部大臣が阿部陸相と岡田海相ならば、軍部にも対抗できる経済財政政策をぶちまけることができただろう、ということで小倉。

陸軍大臣については、現役で必死に探したが「適任者なし」という結論になったので、予備役を強引に現役に復帰させた上で阿部信行。首相としての内政面では失政が多かったので、梅津美治郎か畑俊六も候補にしたかったが、閑院宮載仁親王の圧力に屈する可能性がある(現に、畑俊六は親王の圧力に屈して陸軍大臣を辞任したため、米内光政内閣は総辞職した)ので、親王と伍することができる「肩書」を持つ「元首相」であって、かつ義弟に「最後の海軍大将」で日独伊三国同盟反対論の井上成美がいる阿部にしたい。

海軍大臣は、当初は米内光政を考えていたが、私は現役復帰をさせた上で岡田啓介にしたい。『皇族だが、普通の海軍軍人として鍛えられて、実務能力も高い』伏見宮博恭王は、軍令部総長を辞任した後も東郷平八郎に匹敵する権力を持っており、この人と対抗しなければ海軍をまとめることはできない。これを考えると、海軍大臣経験が長く、首相まで務めた岡田啓介ぐらいしか思いつかなかった。ちなみに伏見宮博恭王は、若いうちから普通に艦隊勤務もこなし、風呂上がりの際は湯帷子ではなく手ぬぐいを絞って体をふき、自分の下着は自分で洗濯、握り飯をほおばりながら仕事をするといった、ごくごく普通の感覚を持っているだけに、「お飾り」などで役職には就かない筋金入りの海軍軍人である。こういう皇族に抗するには、並大抵の海軍大将では無理だろう。

司法大臣には、刑事警察を重要視し、経済関係の犯罪に厳しい小原直にしたい。二二六事件の背景に、娘の身売りや息子の口減らしまでしなければ生きていけない農村を屁目に、不正と腐敗で政党政治も経済も歪めてきた政官財への怒りがあることをみれば、徹底した政治浄化を図るのも国民生活に直結した福祉といえよう。ちなみに、戦後は吉田内閣の法務大臣にもなったぐらい、吉田茂とも親交があるので、国際協調主義にも同意してくれるものと思う。

文部大臣に安倍能成を据えたのは、次の理由から。1.旧制一高の名物校長として有名な教育者であり、教育のスペシャリストでもあること。2.朝鮮文化を研究し、朝鮮蔑視を厳しく戒め、批判したこと。3.軍国主義に批判的であり、軍役のための旧制高校修業短縮に抗ったこと。ということだが、朝鮮人への理解から、朝鮮総督府政務統監でも良さそうなのだが、逆に日本国内における日本人の対朝鮮人意識改革に資することを期待するとともに、軍国主義への批批判的態度から初等教育での軍事教練を防止するには、このポストに安倍を据えることが適切だろうと考える。

農林大臣は有馬頼寧は石黒忠篤で迷ったが、私が選んだのは石黒。満蒙開拓を推進してきたというマイナスはあるが、日独伊三国同盟に最後まで反対した閣僚として、ということで「僅差」での選択だと考えてもらいたい。部落解放運動や女子教育の推進などの有馬も捨てがたいのだが、有馬は近衛文麿に近い存在なので、「平和」を前提とすると、石黒を選ばざるをえないだろう、ということである。

商工大臣は、事業家として実績があるかどうかを最優先に選抜した。なので、岸信介は最初から除外。関西の自由主義経済事業家の小林一三なら、遅れていた日本の工業や商業の発展にいい政策を出してくれるのではないだろうか、という期待をこめて選んだ。ちなみに、私は豊田貞次郎も候補として入れておきたかった。航空機製造現場に身を置いたときの経験から、産業の育成の重要性を認識し、豊田自身が「なりたかった」ポストでもあるからである。しかし、「商業」という観点でみれば、やはり事業家と比べると劣るのは当然であって、ここは小林が適任だろう。

逓信大臣は松前重義。東條内閣の方針に反して、懲罰的な徴兵(本来なら、徴兵されるにしても少将待遇になるところを、二等兵で普通に出兵)されたほどの人だが、私が着目したのは、松前が通信技術の技術者であり、電信電話や放送に対する日本の劣勢を挽回するには、この方面に「理論的な説明」で官僚や軍部を納得させられるだけの人を据えたい。

鉄道大臣は、社会人1年目からずっと鉄道技術者としてならし、鉄道経営まで携わったスペシャリストである八田嘉明以外には思いつかなかった。

拓務大臣の選抜は極めて消極的である。植民地を植民地として経営することには、私は賛成しないからである。(できる限り、内国と政策を一致させるべきだ、というのが私の意見)とはいっても、ポストがある以上は誰かを選ばなければならない。そこで、旧自治大臣を選ぶつもりで、「地方政治に最も重要なものは?」という基準で、「大蔵官僚三羽ガラス」のひとりで、日独伊三国同盟に反対していた石渡荘太郎を選んだ。

厚生大臣には小泉親彦を選んだ。この人は陸軍軍医中将ではあるが、職業軍人というわけではなく、純粋に医者である。(「中将」といっても、陸軍省に勤務する医師としての最高ポジション・・・軍医の最高位は中将であった・・・というだけの意味であって、元々は「軍医総監」という名称だった)なので、この人を軍人にカウントするのは、私は筋違いと考えている。私がこの人を厚生大臣にしたい理由は、BCG接種や結核予防を推進し、厚生省そのものを立ち上げた人だからである。

企画院総裁には、やはり「大蔵官僚三羽ガラス」のひとりで、政府大本営連絡会議で、主要閣僚(蔵相)として最後まで日米開戦に抵抗した賀屋興宣を入れたい。小倉正恒を蔵相に入れているので、政府大本営連絡会議で小倉をサポートする「第二の日米開戦反対の蔵相」として出席させたいという意図がある。第一、大蔵官僚だけあって、物資計画も「経済疲弊を防止しつつ」という条件での企画院案を作ることもできるだろう。

広田弘毅を無任所の国務大臣にしたのは、幣原をサポートするためである。当時の日本外交は、英米とアジア二方面に、それぞれ大臣を必要とするほどの状態であった。幣原が外務大臣として英米協調外交を中心に国際社会で万遍なく外交を展開する傍ら、広田はアジア、特に対中外交に専念するべきだと思っている。

参謀総長は、親中派で蒋介石とのコネクションを持つ(というよりも、蒋介石が日本の陸軍士官学校学生時代に、後見人として生活を援助していた)松井石根が適任だろう。対中戦争の外交的解決にコミットしていれば、『全軍戦闘行動中止』と『満州までの全軍撤退』を指令する参謀総長であっただろう。戦後、いわゆる『南京大虐殺』で絞首刑に処されたが、松井自身は、むしろ「虐待、暴行、略奪等」は禁止するように通達している。「興亜観音」で弔っているのは「支那事変の犠牲者」であって、これには中国人朝鮮人はもちろん、一般市民も含まれている。私自身は『南京大虐殺』は、物理的な理由により、あっても100名程度(それでも大変な虐殺であるばかりでなく、伝えられている日本軍の悪行は、そもそも日本の陸軍軍法に思い切り違反している)だと考えているが、仮にそれが事実であったとしても、松井石根は「命令伝達のミス」による「管理者責任」と思っている。

軍令部総長には、海軍大臣を選んだときと同様、伏見宮博恭王に対抗できるだけの胆力を持ち、日米開戦反対派となると、米内光政しかいなかった。岡田啓介は年齢が高すぎる上に、現場を強力に指導するタイプでもないので、米内が適任、ということになる。ただし、山本五十六を岡田のサポートに充当するならば、米内を軍令部内で孤立しないように、連合艦隊司令長官に長谷川清か塩沢幸一を据えた上で、軍令部には井上成美や保科善四郎、あるいは現役復帰させた上で堀梯吉などを入れておく必要がある。






まさに妄想の世界である。
異論反論はあろうが、ここでひとつ言えるのは、「人材がいない」という点である。明治の元勲に比べれば、政治と軍事の双方に互いにかじ取りができるような人がいない。
セオドア・ルーズベルト米大統領と交友関係がある金子堅太郎をアメリカに派遣して、「開戦前に」戦争終結に向けた仲介役の下地作りをしたのである。
児玉源太郎に至っては、賠償を求める声に押された桂太郎が、日露戦争の講和条件に賠償を入れると「バカか!」と怒鳴ったと言われている。そもそも児玉源太郎は、内務大臣や陸軍大臣までも務めながら、参謀次長という降格人事を受け入れた。
そこまでして「成功させよう」という執念を燃やした人材が、このときの日本には皆無であった。これが、日米開戦を避けられなかった、政官財と軍サイド(権力者側)における最大要因だと、私は思う。
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No title

メディアに煽られ、国論全体がアメリカと戦うべしと言っていた時代、陸軍、右翼、国民をどうやって止めるんだ?あの天皇陛下も内乱を恐れて高松宮に『止めては』といわれ、『暴走することを案じ反対できない』と述べている。それに海軍省の澤本さんが、開戦直前まで、岡田大将や米内大将のところにいって何とかならないかと言って相談したが、何も述べなかったそうだ。両人も一応は開戦の流れでの線で決まっていたということだ。

No title

人材がいないのはその通りだが、理由は明治だから、昭和だからという訳じゃない。海軍軍縮会議の関係で、事務屋が多く残り、戦闘が出来るし人間が多く削減されたためだ。影響を受けたのは船だけじゃないんだよ。
プロフィール

わくわく44

Author:わくわく44
地球温暖化の流れに逆行して、財布の中身は常に氷河期到来している、「生活は庶民以下でも、志は貴族」(←鈴木邦男氏・談)と、言える日は来ないだろうなぁ・・・。

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